2022 Fiscal Year Annual Research Report
難波・大阪湾岸地域における古代・中世史像の総合的研究
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20K00969
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Research Institution | Kansai University |
Principal Investigator |
西本 昌弘 関西大学, 文学部, 教授 (00192691)
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Project Period (FY) |
2020-04-01 – 2023-03-31
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Keywords | 古代難波津 / 渡辺津説 / 三津寺町説 / 難波屯倉 / 難波大郡 / 難波宮下層遺跡 |
Outline of Annual Research Achievements |
昨年度の本研究において、古代難波津の歴史的変遷について検討し、難波津は5・6世紀には大川沿岸の渡辺津(天神橋付近)に位置していたが、7世紀以降は大阪湾に面した三津寺町付近に移動したと論じた。後者の難波津は少なくとも斉明朝には開港していたが、どこまで遡及できるのかは今後の課題であるとしていた。 今年度は『日本書紀』安閑天皇元年条にみえる小墾田屯倉・桜井屯倉・難波屯倉などが、その後、小墾田宮(寺)・豊浦宮(寺)・子代離宮などに改造され、王権の重要施設として利用され続けることを、発掘調査成果も加味して考察した。難波屯倉に関しては、直木孝次郎氏の先駆的な研究以来、これを上町台地北端の難波宮跡で検出されている難波宮下層遺跡に比定し、難波大郡・小郡や客館などとの同一性・一体性を認める見解が通説化しているが、農地を主体とする難波屯倉が上町台地上に存在したとは考えられず、通説的見方には大きな疑問があることを述べた。難波屯倉(子代屯倉)はのちの西成郡狭屋部邑(讃楊郷)に属したが、東生郡に属した生国魂神社の社地は豊臣大坂城の大手門外に想定することができるので、難波宮下層遺跡の場所は東生郡に属すと考えざるをえず、やはりここに難波屯倉を比定するのは難しいであろう。 上町台地北端の高所はむしろ難波大郡の所在地と考えた方が穏当で、この周辺には百済館などの客館も設けられていたと思われる。この大郡は大化改新時に大郡宮に改造されるので、7世紀中葉までは難波津・大郡・客館のいずれもが渡辺津周辺に存在した可能性が高いことになる。
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Research Products
(4 results)