2021 Fiscal Year Research-status Report
Crisis Responses of Beijing and Capital Society in the Late Qing Dynasty
Project/Area Number |
20K01005
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Research Institution | The University of Kitakyushu |
Principal Investigator |
堀地 明 北九州市立大学, 外国語学部, 教授 (70336949)
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Project Period (FY) |
2020-04-01 – 2023-03-31
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Keywords | 清代北京 / 治安行政 / 柵欄と堆撥 / 保甲 |
Outline of Annual Research Achievements |
研究第2年目は、清代乾隆―道光年間(18~19世紀前半)における首都北京の都市治安行政と保甲について研究を進めた。 首都北京で施行されていた行政の区画とその範囲、治安問題を中心とする首都行政について、関連資料の統計的整理と分析に取り組んだ。主要な解明点は下記である。清代の北京は、内城と外城で異なる統治制度が実施され、内城は八旗の歩兵隊である歩軍統領衙門が、外城は監察機構である都察院管轄下の五城巡城御史と五城兵馬司により統治されていた。盗賊の取り締まりに焦点をしぼって統治行政の実態を検討すると、統治人員が不足しているため、盗賊検挙率は低度であるという構造的問題を内包していた。 治安監視施設としては、柵欄(さくらん)と堆撥(たいはつ)が設置されていた。柵欄とは、街路口に設けられた開閉式の木戸であり、夜間に閉鎖し不審者の侵入を防止した。堆撥とは、街路・城壁上に設けられた監視小屋であり、24時間体制で兵士が駐在し治安を監視した。治安維持組織は隣保組織である保甲であり、住民の戸口調査を行い、住民に連帯責任制を科し、不審者の侵入を防止ししようとした。19世紀前半まで、住民の高い流動性のため、保甲は定期的編成に実施されず形骸化していたが、1813年の白蓮教徒による紫禁城襲撃事件を契機に保甲への住民編成が強化された。しかし、19世紀前半には、柵欄は損壊しても修理が行われず、堆撥には兵士が駐在しなくなった。また、1813年に強化された保甲も2年後には住民の編成が十分に行われず、形骸化が進んだ。総体的に見ると、首都北京の治安維持行政は粗放であり、清朝は住民を十分に把握できなかった。
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Current Status of Research Progress |
Current Status of Research Progress
2: Research has progressed on the whole more than it was originally planned.
Reason
関連資料の読解・分析・統計整理に注力し、研究概要記した事象を明らかにした。研究目的達成に向け、本研究はおおむね順調に推移している。
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Strategy for Future Research Activity |
研究概要に記した課題について、図像資料と非中文資料を重点とし、関連資料の調査収集をさらに進め、掌握した基本的史実のより深い分析を進め、研究を論文とし取りまとめる。同時に19世紀後半に北京を襲った内外の危機、すなわち1853年太平天国の北伐・1860年第二次アヘン戦争時に英仏軍の北京入城・1895年日清戦争時の日本軍の遼東半島占領等発生時に、首都北京を防衛するために講じられた諸策、及び住民の自警組織について研究を進める。
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Causes of Carryover |
新型コロナウィルスの感染拡大のため、予定していた国内外の調査が実施できなかったため、次年度使用額が生じた。新型コロナウィルスの感染拡大の状況を慎重に見極めながら、国内外の調査を計画し実行する。
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