2022 Fiscal Year Research-status Report
The Formation and Transformation of the Medieval Islamic Medicine in the Yuan-Ming Period: a study on Huihui Yao Fang
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20K01014
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Research Institution | 防衛大学校(総合教育学群、人文社会科学群、応用科学群、電気情報学群及びシステム工学群) |
Principal Investigator |
尾崎 貴久子 防衛大学校(総合教育学群、人文社会科学群、応用科学群、電気情報学群及びシステム工学群), 総合教育学群, 教授 (00545733)
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Project Period (FY) |
2020-04-01 – 2024-03-31
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Keywords | 東西文化交流 / 回回薬方 / イブン・スィーナー / 医学典範 / イスラム医学 / ホラズムシャーの宝庫 / モンゴル / ペルシャ語 |
Outline of Annual Research Achievements |
本研究の目的は、漢語イスラム医学書『回回薬方』(以下『回回』とする)引用元であるイスラム医書の原典を同定し、内容比較から中国でのイスラム医学の受容の様相を検討することである。今年度は以下の成果を得た。 (1)『回回』第30巻中の「我」とは、記述箇所により、『回回』の引用元である12世紀ペルシャ語医書『宝庫』の著者(ジョルジャーニー)であったり、『宝庫』が直接引用・翻訳している10世紀アラビア語医書『医学典範』の著者(イブン・スィーナー)であることを明らかにした。同時に当該箇所について、『回回』の編者は、12世紀カスピ海沿岸のイラン系王朝のペルシャ語医書の調剤レシピを一語一句正確に『回回』に収めたことが明らかになった。 (2)インド医学由来の2薬品の調剤レシピをアラビア語医書と『回回』に見いだした。そこから、インド医学由来の薬の中国への伝播には2つのパターンがあることを明らかにした。14世紀までに各地で展開されたインド医学・イスラム医学・中国医学の交流を解明する手がかりとなる発見といえる。1つは9・10世紀にバグダードとカイロに集約された医薬情報が、アラビア語医学書に文字記録され、ペルシャ語と漢語に直訳されたもので、それらのレシピが多数『回回』に記録されている。もう1つは13世紀以降アラビア語圏を経由せず、インドから直接イラン地域・中央アジアを経て中国に入ったものである。 (3)甘味飲料『舎里別』(以下シャラーブとする)の伝播の検証からは、元・明代のイスラム医学の薬品の受容・認識は、2つの地域・階級にて同時進行していたことを見いだした。中国北方に都を配したモンゴル支配王朝による受容と、中国南部の泉州や杭州など都市部のイスラム教徒共同体や漢人社会における受容である。いずれの場でも「舎里別シャラーブ」は、嗜好品として、また諸症状への“効能”をもつイスラム医学の薬として利用された。
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Current Status of Research Progress |
Current Status of Research Progress
2: Research has progressed on the whole more than it was originally planned.
Reason
(1)『回回』の引用元の検証を進め、同書の特質をより明らかにできた。引用元については、第30巻では半数ほどの調剤レシピは12世紀ペルシャ語医学書『宝庫』であり、第34巻外科書における火傷・骨折・腹部縫合の部分は、10世紀『医学典範』の一語一句の翻訳であることを明らかにした。引用元未同定記述には、インド医学由来の薬や在中国の回回医の薬を見いだした。『回回』の引用元として、12~14世紀イラン地域・中央アジアの医書や漢籍医書がある可能性が強まった。 (2)『回回』内に2つのインド医学由来の薬を見出した。「一年飲む薬」という錠剤と、イトリーフィルという名称の薬である。前者は、若返りと白髪防止の薬でペルシャ・アラブの王が常用していたと、10世紀イラクおよびエジプトの記録に初出する。『回回』での記述は『宝庫』のそれと一語一句一致した。後者は、10世紀アラビア語医学書に「 “3つの下剤混合薬”というインド名の」下剤の薬として初出する。一方『回回』では、下剤に加え健胃剤としてのニンジンなど常用野菜のジャムなど20種のレシピがある。12世紀以降にインドからアラビア語医書を介さずにイラン地域・中央アジアに入り、中国へと伝播する過程でイトリーフィルという薬が変容したことを明らかにした。 (3)シャラーブにおいては、中国のイスラム医学受容は、2つの層での同時進行の様相ををとらえることができた。1つは大都(北京)に宮廷を構えたモンゴル支配者層、もう1つは中国南部の広州・泉州のイスラム教徒社会での受容である。いずれでも、医薬品と嗜好飲料の2種のシャラーブがあった。前者には、麝香・甘松など高価なスパイスの名前が冠せれ、後者としては、レモン・リンゴ・ブドウなどのシャラーブが作られた。これらのレシピは漢語の料理書や医学書にも記載され、漢人社会への普及を確認できた。
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Strategy for Future Research Activity |
(1)インド医学由来の薬が中国に入る2つのパターン、それは「1年の薬」にみられるアラビア語→ペルシャ語→漢語への逐語訳での文字記録によるものと、「イトリーフィル」にみられる内実の変化を伴った伝播である。後者は伝播の過程で、その地の必要性に応じて、薬の“効能”が変化し、“種類”が増減した。この薬剤に注目することでイスラム医学の認識の変容、すなわち”中国化”を具体的に捉えられると考える。11世紀のペルシャ語医書の渉猟と検証をおこなう。なおこの時代のペルシャ語医学書については、先行研究がほぼなく、以前写本状態でイラン・中央アジア各地の図書館・文書館に収められている。 (2)シャラーブ(渇水)、とりわけレモンシャラーブに焦点を当て、モンゴル支配王朝ならびに中国の都市部でのイスラム医学の受容の様相をみる。レモンは元代の中国南部ですでに栽培が開始され、レモンのシャラーブは広州・泉州地域では12世紀後半には製造され、「夏の暑さをさける」とされた。また「中国産のレモンシャラーブ」は13世紀後半には、イルハン国の宰相に届けられたことを確認している。中国ではサトウキビ栽培の普及以前とされる時期に、いかにシャーベットが”中国化”されたかを検討する。 (3)引用元が依然未解明にある第12巻の探索を引き続き行う。10世紀ペルシャ語医書『健康の維持』の写本を入手し、この書の中にこれまで検討してきた医書にはない新たなインド医学の薬の調剤法を確認した。このことから、ペルシャ語医学書の写本の渉猟により、引用元の発見が可能であることを確信している。 (4)『回回』の漢語薬剤名について、漢籍医書との内容比較から、中国医学での受容の可能性をみる。イスラム医学における疾病概念の“中国化”についての端緒を捉える。
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Causes of Carryover |
コロナのための海外調査の旅費が執行できなかった。しかし、現在イラン国内所蔵のイスラム医学写本ゼロックス版シリーズがなされ、海外旅費の執行なく計画を順調に進められる可能性を確信した。今後は、写本ゼロックス版の書籍購入を予定している。
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Research Products
(2 results)