2021 Fiscal Year Research-status Report
地域の災害伝承の解読に基づく災害リスクの再構築-福岡県耳納山麓を対象にしてー
Project/Area Number |
20K01144
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Research Institution | Kyushu University |
Principal Investigator |
西山 浩司 九州大学, 工学研究院, 助教 (20264070)
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Co-Investigator(Kenkyū-buntansha) |
細井 浩志 活水女子大学, 国際文化学部, 教授 (30263990)
広城 吉成 九州大学, 工学研究院, 准教授 (90218834)
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Project Period (FY) |
2020-04-01 – 2023-03-31
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Keywords | 享保5年耳納山麓土石流災害 / 豪雨災害記録の発掘・編 / 災害伝承 / 災害リスク |
Outline of Annual Research Achievements |
令和3年度は,近年災害が起こっておらず,過去の災害の風化が懸念される地域(福岡県筑後地方耳納山麓:土石流危険地域)を対象に,享保5年の土石流災害に関わる地域の古記録に残る災害伝承を解読し,どの地区でどのような災害があったのかを明らかにすることを目的として研究を実施した.具体的には,耳納山地山麓にある当時の村落比定地に赴き,当時の言い伝えや,壊山物語(享保5年)に記された当時の災害記録・伝承を詳しく調べ,村落ごとに土石流が発生した谷を推定した.その主な結果を下記に示す. (1)竹野村・徳間村・富本村:壊山物語の記述によると,その村々の間を流れる谷の上流に天然ダムが形成され,崩壊して土石流が襲った.その谷の位置を調べたところ,現在の千ノ尾川上流にある2つの谷のいずれかと推定される.(2)妹川村:樫ヶ平集落内の寺ヶ迫にあった続の観音の仏像が,巨瀬川の氾濫で流失し,吉井町に流れ着いたことが石碑の碑文に記されている.寺ヶ迫は小字名として残っており,樫ヶ平に流れる谷川の上流部に位置していることから,妹川村で7名の犠牲者を出した地区は樫ヶ平集落だったと推定される.(3)室町時代の土石流被害(益永村):室町時代,天転掘(平家城跡の東側)と呼ばれる谷で土石流が発生したという伝承が残されている.実際に深い谷が確認され,その下流側に位置する当時の益永村が被害を受けたのではないかと推定される. 以上の結果を含めて,福岡県筑後地方の耳納山地で起こった享保5年の豪雨による土石流災害を取りまとめ,耳納山地山麓地区にお住いの久留米市,うきは市の住民を対象にしたHP(災害伝承から防災へ)を作成し,令和4年出水期前までに公開する予定である.
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Current Status of Research Progress |
Current Status of Research Progress
1: Research has progressed more than it was originally planned.
Reason
令和3年度は,令和2年度同様,コロナ感染症の影響で中止された企画があったが,感染症対策を十分に講じて,うきは市妹川地区において,災害学習会,災害街歩き,防災マップ制作などの行事を実施することができた.但し,行事としては少ないことから,江戸時代の豪雨災害に関する文献調査とその解読作業,文献内容に基づく現地調査を優先的に実施した.本研究の実施方法として新たな研究項目として,享保5年(1720),昭和21年(1946),昭和28年(1953),うきは市で起こった土砂災害や河川の氾濫に関連する災害石碑のメッセージについても詳しく調べた.その取り組みでは,従来の拓本とは異なる最新のひかり拓本技術を使って,風化しつつある碑文を蘇らせること,さらに,読める内に鮮明化して次世代に記録を残すことも実施することができた.その碑文の解析は本研究にも活かされ,研究が大いに進展した. また,令和4年出水期前までの公開を目指し,福岡県筑後地方の耳納山地で起こった享保5年の豪雨による土石流災害を取りまとめ,耳納山地山麓地区にお住いの久留米市,うきは市の住民を対象にしたHP(災害伝承から防災へ)を作成した.この中には,耳納山地北麓の各地区の災害リスクを住民の皆様に知ってもらうため,土石流災害に見舞われた当時の村落の位置をハザードマップ上に表示できるようにした.また,各地区の災害をイメージできるように,当時の災害の特徴についても詳しい説明が加えられ,各地区の防災事項も記した.その元史料として,壊山物語の原文と翻刻文も公開している.さらに,うきは市の住民向けの防災冊子の作成も行った.そのタイトルは,「災害は歴史に学び,逃げ後れゼロ パート2 -石碑から学ぶ防災-」で,石碑のメッセージからうきは市の災害リスクを結びつける内容となっている. 以上,本研究課題の取り組みは,当初の計画以上に進展したと判断する.
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Strategy for Future Research Activity |
過去2年間の研究を通して,享保5年(1720)に耳納山麓地区で発生した土石流災害の特徴を詳細に調べ,うきは市と久留米市の住民向けの防災HP作成の取り組みまで進めることができた.その研究過程で,江戸時代の災害を面的に捉えることができ,時間軸上で災害の特徴を見る災害史とは異なった視点が得られた.通常,江戸時代の古記録は,記録された場所の被害状況が記されているので,一つの文献だけでは,江戸時代に起こった災害の全体像を把握することはできない. そこで本研究では,壊山物語を含め,当時の古記録を繋ぎ合わせることによって,享保5年の災害事例を面的に捉えた.その結果,その事例は,現在の福岡県筑後地方中心に,佐賀県の背振山東部から大分県日田市にかけての東西の広い範囲に深刻な災害を引き起こしたことがわかってきた.このように,被災状況,被災地の地域的な拡がり,気象状況(豪雨を引き起こす梅雨末期の典型的な気象状況)が明らかになってきたので,気象庁が命名している豪雨事例と同様,江戸時代の事例についても,例えば,「享保5年7月九州北部豪雨」のように名付けることができると考える. 享保5年の事例から得られた上記の着想に基づき,最終年度は,筑後川流域で豪雨災害を引き起こした江戸時代の事例が,福岡県以外のどの地域まで及んでいるのかを調べるために文献調査と現地調査をする.ここでは,嘉永3年(1850),九州北部から中国地方にかけて豪雨災害を引き起こしたと思われる事例に着目する.古記録の分析と現地の災害リスク調査から,気象状況と被害状況を面的に明らかにし,「嘉永3年7月中国・北部九州豪雨」と名付けることができるか検討する. 一方,耳納山麓地域については,令和4年度に公表予定のHP「災害伝承から防災へ」を活用してもらうために,感染対策に留意しつつ,その普及とともに地域の災害学習会等を実施する予定である.
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Causes of Carryover |
令和3年度も感染症の影響で,文献調査,過去災害の現地調査,地域の防災活動などに充てる旅費を十分に使用できなかった.代わりに,耳納山麓地域を対象にした防災ホームページ「災害伝承から防災へ」の作成に注力した.令和4年度は,感染症が収まらない状況が続くと想定されるが,感染対策を十分に講じて,文献調査,過去災害の現地調査,地域の防災活動を進めていく.本研究を通して,享保5年の豪雨事例を最近の豪雨事例と同様に面的に捉えることができ,「享保5年7月九州北部豪雨」と命名できるだけの内容となった.同様のことが別の江戸時代の事例でも命名が可能かどうか判断するために,筑後川流域でも被害をもたらした嘉永3年(1850)の事例に関して,九州北部以外に中国地方にも目的地を増やし,文献調査,過去災害の現地調査を進める.出張回数が増え,目的地が遠くなることから,旅費が増える.その費用は前年度残額と4年度予算を充当する予定である.
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Remarks |
福岡県筑後地方の耳納山地で起こった享保5年の豪雨による土石流災害を取りまとめ,耳納山地山麓地区にお住いの久留米市,うきは市の住民を対象にしたHP(災害伝承から防災へ)を作成し,令和4年出水期前までに公開する予定である.
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