2020 Fiscal Year Research-status Report
バンクーバー大都市圏の日本人ガーディナー:技術革新にともなう庭園・造園業の展開
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20K01181
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Research Institution | Ritsumeikan University |
Principal Investigator |
河原 典史 立命館大学, 文学部, 教授 (60278489)
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Project Period (FY) |
2020-04-01 – 2025-03-31
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Keywords | バンクーバー / ガーディナー / キツラノ地区 / 弓ヶ浜半島 / 足立儀代松 / 鳥取県出身者 / 連鎖移住 |
Outline of Annual Research Achievements |
1938年のブリティッシュ・コロンビア州(BC州)では、バンクーバーに173名、フレーザー川流域に3名、バンクーバー島に2名のガーディナーがいた。バンクーバーでの従事者数では、一般労働(585名)、商業(568名)、製材業(386名)、漁業(200名)に続くガーディナーは第4位を示す。1941年の“BC Directory(BC州住所氏名録)”をみると、バンクーバーでは144人のガーディナーが確認できる。彼らの出身地では鳥取県が26人(18.1%)と最も多く、そのすべてが弓ヶ浜半島を中心とする西伯郡からの移住であった。とりわけ、上道村と南接する余子村からの移民が多かった。 この輩出要因について、当地域が近世に海運業で栄えた境港に南接していたことがあげられる。砂州である弓ヶ浜半島では、水田耕作は必ずしも好調ではなく、近代になると、綿花が栽培されるようになった。しかし、インドから安価な綿花が輸入されるようになると、当地の農家は困窮をきたした。 上道村に生れた学校教師の村上龍は若者に海外への飛躍を勧め、それを援助した。村上の影響を受けた若者の一人に、足立儀代松がいた。教師を辞した足立は、1892年にカナダに渡った。カナダに3年間滞在した彼は、帰国後に故郷でカナダへの渡航を説いてまわった。そして、1895年に団長を足立、副団長を川尻慶太郎とする14名の移民団が結成され、彼らはカナダへ渡ったのである。 鳥取県出身者の多くは、フレーザー・クリーク南岸のキツラノ地区やフェアビュー地区に居住した。それは、両地区に南接するショーネシー地区をはじめ、後背地には顧客となる上層のカナダ人宅が展開していた。秋から翌春では、落葉やコケ類の除去などを担うガーディナーの需要があった。キツラノ地区は、鳥取県出身者を中心とする連鎖移住によって形成されたガーディナーの集住地域だったのである。
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Current Status of Research Progress |
Current Status of Research Progress
3: Progress in research has been slightly delayed.
Reason
2020年度はコロナ禍のため、カナダでの調査が不可能であった。第二次世界大戦後におけるガーディナーの活動に関わる新しい資料の発見・収集や、日本人ガーディナーへの聞き取り調査ができなかった。そのため、戦前の史資料の再検討を行なった。
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Strategy for Future Research Activity |
2021年度もカナダ調査が困難であると予想される。そのため、すでに収集済みである戦前の史資料の再検討を継続する。その際、日本人ガーディナーだけでなく、イングランド・オランダ人を中心とする白人、そして中国人などの他民族との比較考察を行なう。
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Causes of Carryover |
コロナ禍による国内外の調査が困難であったため、旅費の執行ができなかった。そのため残額が生じ、次年度への繰越金が発生した。引き続き、カナダへの調査は困難と予想されるが、国内調査を計画的に進めたい。
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