2020 Fiscal Year Research-status Report
新教育運動期における自然保護運動の昂揚と環境教育の起源に関する比較史的研究
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20K02529
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Research Institution | Kwansei Gakuin University |
Principal Investigator |
宮本 健市郎 関西学院大学, 教育学部, 教授 (50229887)
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Co-Investigator(Kenkyū-buntansha) |
渡邊 隆信 神戸大学, 人間発達環境学研究科, 教授 (30294268)
山崎 洋子 武庫川女子大学, 言語文化研究所, 嘱託研究員 (40311823)
山名 淳 東京大学, 大学院情報学環・学際情報学府, 教授 (80240050)
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Project Period (FY) |
2020-04-01 – 2024-03-31
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Keywords | 新教育 / 自然保護 / 環境教育 / 都市計画 / 改革教育 / 進歩主義教育 |
Outline of Annual Research Achievements |
アメリカ、イギリス、ドイツのそれぞれの国で、19世紀末に始まった自然保護の運動に関する研究を概観した。 アメリカでは、19世紀半ばから、自然を賛美する超絶主義の思想が展開し、それが進歩主義教育の起源となったこと、19世紀末にはベイリの自然学習の教育実践が始まっていたことが確認された。しかし、これらの自然保護の思想は、20世紀初頭に進歩主義教育の実践が普及していくなかでも、むしろ時代遅れとみなされていったことがわかってきた。この間の思想の展開は、自然保護を強調したミューアと、自然保存を主張したピンショーとの対立という形で表れていた。 イギリスでも、19世紀半ばから自然保護運動が盛り上がった。思想に着目すると、キリスト教自然観、および自然を礼賛するロマン主義者の活動が重要である。社会史の観点からは、遊び場や公園施設の設置、森林保護行政などが徐々に始まった。オクタヴィア・ヒルやパトリック・ゲデスの取り組んだオープン・スペース運動やナショナル・トラストはその具体的な展開であった。彼らの思想と運動が、学校教育のカリキュラムにどのように反映されたかを調べることが今後の課題である。 ドイツでも、19世紀半ばから環境保護や自然保護の活動が始まったが、この両者は起源を全く異にしていた。環境保護は産業化や都市化の帰結として生じた都市問題、とりわけ公衆衛生の問題であった。これに対して、自然保護は、民族の歴史的・文化的遺産の保護がねらいであり、郷土保護の思想に基づいており、教養市民層の支えられていた。異なる二つの運動が、新教育のなかに流れ込んでいたと思われる。 以上のように、自然保護の運動は矛盾を抱えていた。したがって、その影響を受けた学校改革やカリキュラム改革にも、矛盾する多様な要素が混入していたと考えられる。今後はその矛盾を解明していきたい。
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Current Status of Research Progress |
Current Status of Research Progress
3: Progress in research has been slightly delayed.
Reason
新型コロナへの対応で忙殺されたことと、海外での調査ができなかったことが遅れている大きな要因である。それ以外には以下の三点がある。 第一に、現代における環境教育の多面性である。本研究は環境教育の一部であり、最終的には今後の環境教育の進め方にもある程度の示唆となることをめざしている。したがって、今日の環境教育の現状を十分に把握する必要があった。ところが、環境教育に関する研究は思いのほか多く、それらを概観することが難しかった。森林の保護や公衆衛生という古くからの課題もあれば、気候変動、地球温暖化、生物多様性の保持など、現代になって出現した問題も少なくない。環境教育はこれらすべてを含まざるを得ず、明確な視点がない限り、全体像の把握は難しい。自然環境の保護と、資源の保存、という単純な二項対立の問題ではないのである。 第二に、現代の環境教育と、新教育との連続性を確認することが意外に難しかったことがある。アメリカの場合、環境教育は、1962年に『沈黙の春』が刊行されて以後、様々な形で提唱されるようになったが、進歩主義教育実践とのつながりを示すものは多くない。思想として、超絶主義者のエマソン、ソーロー、ミューアが参照されることはあっても、ロマン主義的な彼らの思想が、20世紀後半の環境運動にどのような影響をあたえたかを実証することは困難である。一方、ドイツでは、ナチスの自然保護思想を否定的に捉え、現代の環境教育や緑の党の活動の連続性を重視しない傾向がみられる。いずれも、新教育と環境教育のつながりは明確ではない。 第三に、環境教育と教育学・教育史研究との関連性が整理されていなかったことである。自然保護は、歴史的には都市計画や公衆衛生の中で取り上げられてきており、学校教育とのつながりは論じられていなかった。本研究は新しい方法と視点を出したつもりであったが、今のところなお明確とは言えない。
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Strategy for Future Research Activity |
環境教育というテーマは、複合した課題を抱えている。本研究では、思想史的、および社会史的な分析を基礎として、2021年度以後では、できるだけ新教育の教育実践に焦点をあてて具体的に見ていくことにしたい。 アメリカの自然保護の思想をみると、ミューアとピンショーの対立がひとつの焦点となる。自然そのものの価値を絶対視する思想(ミューア)と、人間が利用するものとして自然を捉える思想(ピンショー)である。両者の視点を確認したうえで、20世紀初頭の理科教育、自然学習の思想と教育実践をあらためて捉えなおすことにしたい。L.H.ベイリなどが取り組んだ教育実践はある程度の記録が残っている。それらを出発点として、彼らの思想が、現代の環境教育にどのような影響を与えているかを解明したい。彼らの思想は、後の進歩主義教育によって克服されたと、否定的に捉えられることも多いが、本研究では彼らが何を残し、我々が彼らから何を学ぶことができるのかを検討していきたい。 ドイツの自然保護運動は、19世紀の半ばにアメリカの超絶主義の影響を強く受けていた。おそらく、アメリカに自然が十分に残っていた時代に、ドイツではすでに自然環境破壊への危機感が生じていたということであろう。当初は教養市民層に支えられていた運動が、新教育の実践にどのような影響を与えたかを具体的に分析することが課題となる。 イギリスでは、オクタビア・ヒルとパトリック・ゲデスの活動に焦点を当てて、オープン・スペース運動やナショナル・トラストの活動を見ていく。これらは、子どもの遊び場の確保や住宅の改良につながっていく運動であったが、その運動のなかで、自然保護が学校のカリキュラムに導入されていったと思われる。1960年代からプラウデン報告などで環境教育への支持が明確になったのはその現れといえそうである。その経緯を見ていきたい。
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Causes of Carryover |
2020年度は旅費がほとんど使えないままであった。また、出張した際の複写費や学会参加費も予定していたが、それらも未使用である。 2021年度に出張が可能であれば、未使用分をこれらの費用に充てる。
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