2020 Fiscal Year Research-status Report
ドイツにおけるサッカーの定着過程に見る非営利法人の社会的機能
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20K11399
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Research Institution | Meiji University |
Principal Investigator |
釜崎 太 明治大学, 法学部, 専任教授 (00366808)
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Project Period (FY) |
2020-04-01 – 2024-03-31
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Keywords | フェアアイン / 民主性 / 市民性 / 公共性 / 暴力 / 決闘 |
Outline of Annual Research Achievements |
本研究課題の目的は、ドイツにおけるサッカーの定着過程に果たした非営利法人の機能を、民主性と暴力性の両面に着目しながら明らかにすることである。本研究で非営利法人として規定するフェアアイン(Verein)には、営利と非営利、登録と非登録の両方が存在する。しかし、現代ドイツにおいて各種のスポーツ連盟に登録されたスポーツクラブはすべて非営利目的(公益目的)の登録フェアアインであり、多くのスポーツ関係者に、フェアアインの概念は、市場経済に対抗しつつ公益性を保護するものと捉えられている。そのため本研究においては、フェアアインを非営利法人と規定している。 研究期間の一年目にあたる今年度は、「ドイツ第二帝政期におけるフットボールの受容と暴力:エリアスの暴論力からの再構成」『明治大学教養論集』547号を公表した。本論文では、第二帝政期においてフットボール(サッカーとラグビーの混交的なスポーツ)を受容する中心的な存在となったドイツの市民階級が、イギリスの市民階級のような暴力の自己抑制というハビトゥスを発達さることはなく、逆に貴族戦士の暴力的な価値観へと自らを同化させようとし、貴族戦士の文化であった儀礼決闘とサッカーを同列に扱ったために、フットボールも極めて暴力的な文化として受容されていった経緯を明らかにした。 また、その論文では言及できなかったものの、いくつかのドイツ語資料を翻訳することで、サッカーが大衆化していく20世紀はじめには―上記の暴力性とは対照的に―すでに民主的な規約をもつ非営利法人によってサッカークラブが運営され、その非営利法人に企業からの支援があったことも明らかになった。これらの知見を企業―非営利法人―国家―地域住民という4つのセクターの関係性のなかで、貴族、市民、労働者の階級摩擦を視野に入れながら歴史社会学的に考察することが今後の課題となる。
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Current Status of Research Progress |
Current Status of Research Progress
2: Research has progressed on the whole more than it was originally planned.
Reason
今年度は、「研究実績の概要」で示した論文の執筆と公表だけではなく、非営利法人の法的位置づけに関する文献、ドイツにおけるサッカーの定着過程と非営利法人の機能に関する文献、非営利法人と企業の関係を示すドイツ語史料を翻訳した。そこで得られた理解は、概要、以下のような内容であった。 18世紀後半の一般ラント法によって結社の自由を容認するものとして位置づけられたフェアアインをめぐって、19世紀以降、政治的なフェアアインの可否が国家当局と市民階級の摩擦の争点になっていく。三月革命後の反動体制のもとで、結社の自由は残されながらも、政治的なフェアアインへの規制は厳しくなる。その一方で、経済的な目的をもつフェアアインは企業として独立し、労働組合としてのフェアアインとの対立を深めていった。その労働組合運動が大きな高揚を見せたのは、19世紀後半の社会主義者鎮圧法の施行時期においてである。こうした経緯を経て、1900年のドイツ民法においては、非営利目的のフェアアインが「理想的フェアアイン」と表現され、本研究が規定する民主的で非営利(公益)目的をもつ登録フェアアイン、すなわち非営利法人としての地位を獲得したのである。さらに、1908年の帝国フェアアイン法において、法人化への国家の拒否権が消滅し、政治的な非営利法人も完全に自由化される。 同じ時期に、非営利法人によって運営されるサッカークラブが全国各地に形成され、サッカーが普及していく。そのサッカークラブの増加に伴って、工業地帯としてドイツの近代化を支えたライン地方とヴェストフォーレン地方に、定期的なリーグ戦を組織する西ドイツ競技連盟が結成される。その連盟に加盟する非営利法人の数は、1904/05シーズンの67クラブ・43チーム(ひとつのクラブが複数のチームを所有)から、1913/14シーズンの608クラブ・955チームにまで増加していった。
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Strategy for Future Research Activity |
ドイツにおいては、すでに20世紀初頭に、サッカークラブの多くが非営利法人として登録されていた。サッカークラブが非営利法人を取得した大きな理由に、非営利法人格の取得によって、施設や運営のために負った経済上の責任を、私的(財産)に免れえたことがあげられている。その非営利法人には、規約、総会、選挙という民主的な運営が義務づけられていたために、ドイツのサッカークラブにも民主的な特徴が付与されていった。 今後の研究では、そのサッカークラブの民主化の程度について、具体的な事例をもとに明らかにしたい。さらに興味深いことに、例えば企業から自立した非営利法人として運営されていたサッカークラブにも、企業からの資金援助があり、労働組合の雑誌には、そのような支援は、労働者を争議から引き離す経営者の策略ではないかと疑うような記事が残されている。つまり、当時からすでにスポーツクラブを運営するドイツの非営利法人には、企業からの支援があった。この企業と非営利法人の関係についても明らかにしなければならない。その一方で、当時のドイツのサッカーは、極めて粗暴な文化になっていたことも知られている。どのようにして民主的な組織が、粗暴なサッカー文化を支え、その帰結はどこへとむかったのか。 当時のサッカークラブは3つのタイプに区分される。狭い地域に限定された労働者のクラブ、サッカーの部門を導入したドイツ体操のクラブ、同じくサッカーの部門を導入したカトリックの青少年クラブである。研究資料との関係や現代の社会的影響力を考えると、最初のタイプに属するシャルケと最後のタイプに属するドルトムントが最も興味深い事例であろう。シャルケは労働者のクラブ、ドルトムントは反抗的な若者たちのクラブとして誕生しながらも、ナチズムの暴力に加担していった。その経緯を明らかにすることで、民主的な組織がもっていた暴力性の帰結に迫ることができるだろう。
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Causes of Carryover |
パンデミック(新型コロナ・ウィルス)のため、ドイツへの調査旅費をはじめとする各種の出張が不可能となった。また、文献資料の収集にも少なからず影響があり、2020年度は予定額を使用することができなかった。 新型コロナ・ウィルスの収束後に、ドイツへの調査に出向き、関係各者との情報交換および資料収集を進める予定である。
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