2022 Fiscal Year Annual Research Report
生業用具総体からみた九州縄文後晩期農耕論の考古学的研究
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20K13233
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Research Institution | Kyushu University |
Principal Investigator |
福永 将大 九州大学, 総合研究博物館, 助教 (50847093)
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Project Period (FY) |
2020-04-01 – 2024-03-31
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Keywords | 縄文時代 / 九州 / 縄文農耕論 / 生業 / 環境適応 / 遺物組成 |
Outline of Annual Research Achievements |
研究目的は、縄文農耕論の再評価と題して、九州縄文後晩期の大規模集落遺跡から出土した遺物を、未報告資料も含めて悉皆的に調査し、狩猟・漁撈・採集・植物栽培用具の構成や組成比を把握することによって、九州縄文後晩期生業モデルを構築することである。 最終年度では、前年度までと同様、アミダ遺跡出土資料の悉皆的調査を実施した。また、アミダ遺跡が所在する遠賀川流域の他の縄文時代遺跡の調査も実施し、出土した土器・石器などの検討を通して、アミダ遺跡の研究成果の相対化に努めた。最終年度および研究期間全体を通じた研究成果は以下のとおりである。 土堀具とされる打製石斧を用いた植物栽培活動が主な生業活動だと考えられていたアミダ遺跡だが、出土遺物を悉皆的に調査した結果、狩猟・漁労・採集加工具も一定数出土していることが明らかとなった。当該期に大規模集落が出現した背景として、狩猟・漁労・採集・植物栽培をバランスよく組み合わせた生業活動の存在が指摘できる。 また、視野を広げて、アミダ遺跡が所在する遠賀川流域全体を対象に、縄文時代の遺跡立地や出土遺物を通時的に分析した。その結果、縄文時代後期になると、それまで遠賀川下流域に分布していた貝塚が減少し、上流域で居住痕跡が増加。さらに、アミダ遺跡が出現する縄文時代後期後半期には、貝塚は認められなくなり、遺跡はほぼ内陸部に立地することが判明した。このことから、縄文時代後期に寒冷化したことで海水準が低下し、それまで資源獲得の場として利用していた内湾環境が不安定化・消滅したことで、海岸部ではなく内陸部へと居住域を移動した可能性を想定した。アミダ遺跡に代表される九州縄文後晩期の大規模集落の出現は、こうした内陸部に適応した生業活動の採用を契機としたものであった、という新たな仮説が出てきた。
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Research Products
(6 results)