2022 Fiscal Year Research-status Report
ウィーン体制の実証的史料分析を通じた多極構造における国際秩序形成の研究
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20K13421
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Research Institution | Okayama University |
Principal Investigator |
矢口 啓朗 岡山大学, 教育学域, 助教 (10821861)
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Project Period (FY) |
2020-04-01 – 2024-03-31
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Keywords | ロシア外交 / ウィーン体制 / 東方問題 / イギリス外交 / コミットメント問題 / ロシアの軍事介入 / ニコライ一世 / ヨーロッパ国際関係史 |
Outline of Annual Research Achievements |
本年度(2022年度)は、①これまでの研究成果のまとめ②学会における研究報告③海外における調査活動が主な研究活動であった。 ①これまでの研究成果のまとめとしては、2023年2月『関東学院大学人文科学研究所報』において「1830年代のロシア外交におけるコミットメント問題」を発表した。コミットメント問題とは、国家の行動に関して自らを拘束する国際的約束の実現性に対する信頼度のことであり、とりわけ1830年代のロシア外交は、イギリスとの関係やオスマン帝国の関係において、相手国の意図や能力を完全に信用できる状況になかった。特にロシアがイギリスの対仏抑止コミットメントをどのように引き出していたのかを論じることによって、当時のヨーロッパ国際秩序の維持メカニズムの一端を明らかにしようとした。 ②10月末に開催された「日本国際政治学会仙台大会」で、「ウィーン体制におけるロシアの軍事介入」という表題で、ペーパー執筆と口頭報告を行った。帝政期と現代のロシア外交における連続性に対する関心に基づき、ロシア人外交官や軍人らが残した刊行史料集などを用いて、1815-1853年におけるロシアの軍事介入の論理やその原則の解明を試みた。分析の結果、ウィーン体制期のロシア帝国は、被介入国の主権者の要請や国際会議を通じた他の大国の同意あるいは黙認を受けて軍事介入に踏み切っていた。特に皇帝ニコライ一世は、被介入国の主権者である君主の自由意思を重視しており、それを制約しようとする行為に対しては激しく反発を示していた。 ③海外渡航制限の緩和を受けて、2023年2月末から2週間、イギリスの国立公文書館(ロンドン)で史料調査を実施し、主に1820年代後半から1830年代のイギリスの外交文書を入手した。駐露大使館・駐オーストリア大使館・駐仏大使館の書簡に加えて、イタリア諸国に駐在する外交官の史料も入手した。
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Current Status of Research Progress |
Current Status of Research Progress
2: Research has progressed on the whole more than it was originally planned.
Reason
過去2年間の新型コロナウィルスに伴う海外渡航の制限が緩和されたことにより、19世紀前半のヨーロッパ国際関係史において重要な役割を果たしたイギリスの公文書館史料を入手することができるようになった。特にイギリス駐露大使館と本国外務省の間でやりとりされた書簡は、イギリスの対露政策や対欧政策だけでなく、皇帝ニコライ一世などロシア側の政策決定者の考えや意見などをうかがい知ることを可能にする点で重要である。それ以外には、ウィーン体制期のイタリア諸国に関する書簡を入手することにより、イタリア半島がヨーロッパの大国間関係やロシアの対外政策に与えた影響への考察を進めている。 その一方で、2022年2月24日に始まったロシア=ウクライナ戦争によって、ロシア連邦への渡航が制限される中で、モスクワ市における史料調査には大きな制約がかけられており、ロシア外交史研究において特に重要なロシア帝国外交政策公文書館での調査の目途は立っていない。そのため本年度は、ソ連外務省とロシア外務省によって刊行された史料集『19世紀と20世紀初頭のロシアの外交政策―ロシア外務省文書集―』や、ロシア外相カール・フォン・ネッセルローデとロシア人外交官で駐ベルリン公使及び駐ウィーン大使を務めたピョートル・フォン・マイエンドルフの書簡を分析することで、ウィーン体制期のロシアの外交政策を考察した。特に本年度は、これまでの1830年代の分析だけでなく、1820年代初頭のイタリア半島における革命、1820年代後半のギリシア独立革命と露土戦争、1848年の二月/三月革命、1853年のクリミア戦争など、これらの事件におけるロシア外交の分析に着手することができた。とりわけこうした刊行史料を基にした成果は、10月末の「日本国際政治学会大会」で口頭報告し、そこで指摘された批判点を踏まえて、論文化を目指している。
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Strategy for Future Research Activity |
最終年度である今年度(2023年度)は、イギリス国立公文書館で入手した史料の分析を進めつつ、可能であればモスクワ市の公文書館において史料収集を行う。しかしながら、ロシア=ウクライナ戦争が長引き、ロシア渡航が制限され続けることも想定されることから、その場合には別の国において史料収集を行い、ヨーロッパ国際関係史やロシアに関する外交的史料を入手する。その上で昨年度に引き続き、『19世紀と20世紀初頭のロシアの外交政策』等の刊行史料を用いてウィーン体制期のロシア外交を検証する。 本年度は、ロシアにおける史料調査が可能であれば、1833年のウンキャル・スケレッシ条約の締結過程での露英関係を検証する。同条約の締結によって露英関係が悪化したことは、多くの先行研究で論じられてきたものの、その一方で締結過程において露英関係がどのように推移したのかは注目されていなかった。これまでの本研究課題においては、1830年代前半のロシアがイギリスとの協調を望んでいたことを論じてきたものの、ロシアがなぜイギリスとの関係を悪化させる決断を下したのかはまだ明らかになっていない。本年度は、イギリス側の史料も用いて東方問題における露英関係を論じたい。 ロシアにおける史料調査が不可能な場合には、1820年代から1830年代前半のイタリア半島をめぐるヨーロッパの大国間関係について、ウィーン体制における大国の行動規範と国際法の関係性の観点から論じる。当時のイタリア半島は、国家統一や立憲制の確立を目指す自由主義勢力の革命が頻発するだけでなく、ロシアの同盟国であるオーストリアとウィーン体制に不満を抱くフランスの勢力角逐の場となっていた。このように不安定であったウィーン体制期のイタリア半島を巡り、ロシアが国際秩序の維持にどのように関与していたのか、これまでに収集した未刊行史料や刊行史料を基に論じる。
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Causes of Carryover |
本年度(2022年度)は、新型コロナウィルスが蔓延していた前年度から繰り越された、海外での史料調査を主な用途とする未使用金が存在していた。夏以降海外渡航制限が解除されたことで2月末にロンドンで史料調査を行ったものの、それ以外の都市での調査ができなかったため、本年度も未使用金が残った。 2023年度においては、ロシアへの渡航制限が解除されればモスクワの公文書館での調査のために助成金を利用する。戦争が終結に向かわず、渡航制限が継続している場合には、ウィーンのオーストリア国立公文書館内にある家門・宮廷・国家公文書館において、露墺間の外交史料を入手するために、助成金を使用する。
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