2020 Fiscal Year Research-status Report
「あるがまま」を問う:日本哲学における「現前」概念の研究
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20K21940
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Research Institution | Kanazawa Gakuin University |
Principal Investigator |
森野 雄介 金沢学院大学, 基礎教育機構, 講師 (80880963)
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Project Period (FY) |
2020-09-11 – 2022-03-31
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Keywords | 日本哲学 / 西田幾多郎 / アンリ・マルディネ / 現前 / 形 |
Outline of Annual Research Achievements |
本研究は、西田幾多郎を中心に、日本哲学における「現前」概念を明確化を目的とするものである。そのための方策として、次の二点の方法を取った。(1)西田の「純粋経験」概念と大森荘蔵の「立ち現れ」概念の共通性と差異、(2)西田の「事実」概念とアンリ・マルディネの「現前」概念の比較。 (1)は、調査を続けている段階だが、(2)は、明確な進展があった。 とりわけ、キーとなる概念は「形」である。この概念は後期西田における最重要概念である。この概念によって、西田は、唯物論・唯心論などの一元論、および、アリストテレス以来の質料形相論の乗り越えを模索する。「絶対矛盾的自己同一」などの、後期の重要概念は「形」との連関において提示されるのである。 「形」に関して、マルディネも西田と同様の論点に着目していることが明らかになった。マルディネは、西田を読んでいない。だが、西田とほぼ同じ仕方で、現前を「形(forme)」として捉えようとする。ほぼ同じというのは、「場所(lieu)」、そして場所の徹底化の果てに見出される「無(Rien)」という二つの概念を用いて、「形象化(formation)」の最中にある「形」の発生を捉えようとする点である。 西田と決定的に違う点は、マルディネの「形」が反歴史的なものとされる点である。後期西田の理論が「歴史」抜きに考えることができないのと対照的であり、ここから西田の「形」概念を拡張できることを見出した。 そして、私たちはこの論点を元に、「東洋/西洋」という区分を自明のものとしない新たな仕方で、いわゆる「東洋思想」を考察する方法を見出すことができるだろう。それは、マルディネの友人であり、ラカンにも影響を与えた詩人フランソワ・チェンが予示した、初期ギリシアと変わらぬロゴスを持つものとして、東洋思想を捉え、それによって、哲学そのものを問い直していくという方法である。
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Current Status of Research Progress |
Current Status of Research Progress
2: Research has progressed on the whole more than it was originally planned.
Reason
現段階では、本研究はおおむね順調に進展していると考えられる。 (1)西田の「純粋経験」概念と大森荘蔵の「立ち現れ」概念の共通性と差異、(2)西田の「事実」概念とアンリ・マルディネの「現前」概念の比較、という本研究が取った二つの方策のうち、(2)に関して、【研究実績の概要】でも記入したように、当初の予想から明らかな進展があったためである。具体的には、『まなざし、言葉、空間』(1973)、『芸術と実存』(1985)、『芸術、存在の閃き』のマルディネの三つの著作における、「形」、「リズム」、「無」などのマルディネの重要概念に関して、調査を行った。そして、Scrapboxの紐づけ機能を利用して、それらの概念への言及を比較できる状態にしてある。 ただし、問題点は次の二点となるだろう。(1)大森荘蔵と西田幾多郎の比較研究がまだあまり進展していないこと、(2)アウトプットされた形で論文などの成果がまだ出せていないこと。 (1)に関しては、西田とアンリ・マルディネの比較に関して、興味深い論点が多数見出された反面、西田幾多郎と大森荘蔵の比較をまだ十分に進展させることができていない。論点としては、当初予想していたように、大森の「立ち現われ」と西田幾多郎の「場所」の概念の比較がやはり重要であるように思われる。とりわけ、アリストテレスの主語となって述語とならない第一実体を所与として認める西田と、実体というもの全てを捨象しようとする大森の立場の差異を明確化するためには、まだいくつか考慮すべき論点が残されているのが現状である。 (2)に関して、昨年度は講師としての着任一年目であることなどから、大学の業務になれることで手いっぱいで発表・論文の公開ができなかった。とはいえ、インプット自体は蓄積できている。そのため、今後はアウトプットできるように心がけていきたい。
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Strategy for Future Research Activity |
これまで、西田幾多郎とアンリ・マルディネの比較研究を進めてきた上で、哲学史上における西田の理論の意義が、これまで筆者が想定していたよりも重要なものとして浮上してきた。 というのは、アリストテレスが『政治学』において明示して以来、ヨーロッパ(アリストテレスの場合はギリシア)/非ヨーロッパという区別は哲学において自明のものとされ続けてきたためである。これは、ヘレーネスとバルバロイの区分として保存され、カント、ヒューム、ヘーゲルなど、哲学史を代表する哲学者の文章の中にも見出すことができる。つまり、哲学は非ヨーロッパを思考することに失敗し続けてきた。 だが、これは「東洋」に属するはずの、日本においても同様である。明治時代、教育制度が組織される中で、「東洋/西洋」という区分は自明のものと見なされ、その区分のもとに論争が行われてきたためである。これまでの日本哲学も非ヨーロッパの哲学を思考することに失敗している。「東洋/西洋」という対立の自明視がその理由である。この事情は、西田や京都学派も同様である。 挑戦的に述べれば、「東洋/西洋」抜きに、比較哲学を遂行できた哲学者はいまだ存在しないとすら言える。いわゆる東洋哲学の考察のための方法論には、全くもって新しい仕方での思考方法が求められている。 そして、おそらくアンリ・マルディネのみが、その新たな方法論を視野に収めていた。それは、等しくロゴスを持つものとして、バルバロイの思考を彫描することである。この論点から、「東洋/西洋」を自明視してきた日本哲学研究に大きな影響を与える主張を提示できる可能性がある。この論点を明確化するために、既存の論点に加え、西田の哲学史での位置を重視した研究を行う。
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Causes of Carryover |
はじめて科研費を使用することにあり、科研費の支払いから学内での科研費の使用方法を把握できるまでにタイムラグが生じてしまった。加えて、研究計画に必要な図書を選別していき、業者とのやり取りをしていく中で、注文に希少図書が多く含まれていたことから、納入にも遅れが生じてしまったが、次年度使用額が生じた理由である。 使用計画としては、西田幾多郎の研究書など、当初の研究計画で記載していた著作に加えて、研究の経過の中で重要性が増してきた、哲学史に関する書籍、および哲学の基礎文献を中心に、邦語文献および外国語文献の収集に使用していく予定である。
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