2022 Fiscal Year Research-status Report
万葉挽歌の表現と様式から見る日本人の始原的死生観―遺骸の非描写性と時間軸の研究
Project/Area Number |
20K21987
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Research Institution | Tokyo Metropolitan University |
Principal Investigator |
高桑 枝実子 東京都立大学, 人文科学研究科, 准教授 (70881283)
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Project Period (FY) |
2020-09-11 – 2024-03-31
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Keywords | 挽歌 / 沈む / 屍 / 歌い手 / 埋葬 / 死者の鎮魂 / 名を流す |
Outline of Annual Research Achievements |
『万葉集』巻二挽歌収載の「和銅四年歳次辛亥、河邊宮人姫嶋松原嬢子屍悲嘆作歌二首」(228・229)について、前年度に引き続き考察を加えた。前年度は、『万葉集』収載の入水死した伝承上の女性を悼む歌や、「屍を見て」歌われる行路死人歌の表現と比較し、行路死人歌は死者の「屍」が「寝(な)せる」「臥(こ)やす」など生者が眠る様に喩えて歌われるのに対し、当該歌は「嬢子屍」が難波潟に「沈む」と生々しく歌う点が散文的であり、ここに当該歌の詠歌意図があると考察した。 今年度の研究では、当該229番歌の漢字「沈」字が示す意味について、更に検討を加えた。『類聚名義抄』等の古辞書や『万葉集』の歌および散文部分に於ける「沈」字、記紀に於ける「沈」字の全用例を検討したところ、「沈」には「水底に沈む」意は認められるものの「沈」字だけで死を直接表すものはなく、入水死を表す場合は必ず「沈没」「沈~死」と表記される。また『万葉集』や記紀に於いて、散文部分では「沈没」「沈~死」と入水死が示されていても、同様の内容を歌に於いては「潜(かづ)く」と歌うのが当時の日本人の知的文化水準に則した表現であることが導き出された。よって、「嬢子屍」を「潜く」ではなく「沈む」と歌う当該歌は、歌い手が「嬢子屍」の海底に沈む様に遭遇して作った歌であることを明らかにした。また、228歌に歌われた「妹が名は千代に流れむ」という表現の分析から、当該歌の歌い手の人物像について考察を加えた。挽歌に於いて死者の名が後世に伝わると詠むことは死者への鎮魂表現であるが、「名を流す」は官人的発想に基づく漢語表現であり、死者を讃美しながらも遺族や聞き手と「しのひ」を共有する表現ではないことから、歌い手は路傍の死者の「屍」を目にして丁寧な埋葬と慰霊を求める時代の要請に基づき、官人寄りの視点から歌われた平城京遷都時代の新しい挽歌であることを考察した。
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Current Status of Research Progress |
Current Status of Research Progress
3: Progress in research has been slightly delayed.
Reason
今年度は、本研究課題である万葉挽歌独自の遺骸の非描写性の理由及び時間軸の考察と日本人の始原的死生観の探求のため、前年度に引き続き巻二挽歌収載の「和銅四年歳次辛亥、河邊宮人姫嶋松原嬢子屍悲嘆作歌二首」(228・229)の考察を進め、主に遺骸を直接的に詠じた229番歌について、記紀やその他の用例と比較しながら、遺骸の描写方法や歌い手が遺骸を詠じた歴史的背景、及び平城京遷都時代に於ける歌い手の人物像について考察を加えた。前年度と今年度の研究の結果、当該歌の表現性については概ね期待していた研究結果が得られた。 ただ、当初の計画では歌表現に見える漢籍・仏典からの影響等について、更に深く検討する予定であった。今年度の研究では『万葉集』『古事記』『日本書紀』『風土記』等の上代文献や古辞書類までは比較検討できたものの、それだけでも用例が膨大で考察すべき問題点が発見されたことから、『日本霊異記』や仏典、その他の漢籍との比較検討までは手が回らなかった。また、コロナ禍への配慮から2022年度もハイブリッド型授業を実施したために、授業の準備や後始末(録画配信等)、学生への個別対応等の業務に膨大な時間がかかり、当該研究に費やす時間を十分に確保できなかった。 そこで、2023年度までの研究期間の延長を申し出て、更なる研究推進と本研究の結論となる論文作成を目指す次第である。
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Strategy for Future Research Activity |
今後、死者の遺骸を描写する『日本霊異記』の文章および仏典、『文選』挽歌との比較を進め、仏教思想や中国的な死生観と日本古来の古代的死生観との違いを検討する予定である。また、特に『文選』挽歌では墓に埋葬された死者の形容や、埋葬された死者の視点からの挽歌詩が歌われているが、日本に於いて墓に埋葬された死者はどのように表現されるのかを調査し、今年度までの研究結果を踏まえながら日本に於ける遺骸の描写方法や非描写とされる部分についても検討する予定である。また、その他の漢籍・仏典には、他界した死者がこの世に表れたり、生者と言葉を交わす描写があり、中古以降の日本文学にも同様の描写が認められるが、上代日本文学に同様の記述が認められるのかについても検討を加え、当時の人々の死者に対する認識や死生観について考察をする予定である。 以上の研究成果を論文化し、研究史に発表する計画である。 今年度は原則として大学が対面授業を実施するため、前年度までのようなハイブリッド型授業を実施するための準備や後始末(録画配信等)が無い分、業務にかかる負担が少なくなることから、当該研究に費やす時間を確保できると考えている。
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Causes of Carryover |
昨年度、研究課題として取り上げた歌に当初の予定外の問題点が発生し、既に手元にある上代文献を用いて調査を行う必要が出たことや、コロナ禍への対応としてハイブリッド型授業を行うための準備等の業務負担の増加が原因で当該研究に費やす時間が十分に確保できなかったことから、当初の研究計画のうち次年度に延長する部分が出たため、延長部分の研究を実行するにあたり購入予定であった書籍や物品を次年度に購入する計画に変更したことが、当該助成金の次年度使用額が生じた直接的理由である。 今年度は、研究課題である遺骸の描写・非描写方法に関連する漢籍や仏典の研究を進めるため、古代中国文学および仏教関係の関連書物を購入する予定である。また、必要に応じてデータベース上でも調査をするため、有料データベースを参照することも予定している。 また、当該研究と関連する『万葉集』や上代文学、歴史学等の最新の著作物も、出版され次第に購入する計画である。
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Research Products
(1 results)