2009 Fiscal Year Annual Research Report
Project/Area Number |
21520033
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Research Institution | Waseda University |
Principal Investigator |
藤本 一勇 Waseda University, 文学学術院, 教授 (70318731)
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Keywords | 西洋哲学 / 哲学原論・各論 / 数学基礎論 |
Research Abstract |
アラン・バディウの『存在と出来事』における数学的存在論の概念を明らかにするために、ハイデガー存在論との対比、および集合論を存在論として読むことの意義を研究した。 ハイデガーが西洋存在論の根本構造を現前性として明らかにし、その無底性を思考した点は高く評価しながらも、バディウは、ハイデガーがその無底性を神秘的な贈与として理解し、人間や社会の徹底した受動性を主張した点を批判する。バディウにとって、存在の無底性とは、存在が計算の操作性によってのみ確立しうるものであるということの裏面であって、計算とそこからの免算(soustraction)の二重性において理解すべき事態である。存在の無底性はハイデガーのように詩的思考によってではなく、徹底的な操作性としての数学的思考によってこそ表現されなければならない。カントールが創始した集合論の歴史は、そうした操作性と免算の「弁証法」として把握することが可能であるとバディウは考えており、そのもっともラディカルな試みがコーエンのgenericの手法である。genericは、存在の操作性と、その操作性の枠組み自体を産出する枠組み決定(決断)の出来事との循環的関係を、厳密に数学的に表現したものである。 以上のようなバディウの「存在」と「出来事」との関係性の探求は、存在の範囲を数学的に確定することによって、そこから零れ落ちる「出来事」の潜在的可能性を逆照射しようとする思考であると考えられる。 また2009年9月に渡仏してバディウと面談し、『存在と出来事』の日本語訳に関する質問をし不明点を解消した。あわせてバディウに来日を打診し、その準備を進めた。
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