2011 Fiscal Year Annual Research Report
Project/Area Number |
21520033
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Research Institution | Waseda University |
Principal Investigator |
藤本 一勇 早稲田大学, 文学学術院, 教授 (70318731)
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Keywords | 西洋哲学 / 哲学原論・各論 / 数学基礎論 |
Research Abstract |
今年度は主に『世界の諸論理』(2006年)を研究対象とし、『存在と出来事』(1988年)との連続性と差異を研究した。バディウ自身も述べているように、『存在と出来事』ではあまりに数学的存在論の領域に議論が限定されており、たとえその限定作業が後の拡張に必要不可欠なものだったとはいえ、バディウの究極目標である世界における主体化や出来事性にまでは届いていなかった。世界における出来事と主体化の論理としてジェネリックを活用する『世界の諸論理』こそ、バディウが真に目指していた地点だということを今年度の研究では解明した。 バディウの語る「ジェネリック=類的なもの」とは、最上位から系統的に万物を包摂する最高概念ではないし、また何か不変の実体をもった最高存在者でもない。バディウは真理や革命や創造や愛を、哲学の四条件である科学・政治・芸術・倫理における「類的なもの」とみなすが、それらはどれも「空虚さ」をその内実としている。その場合の空虚とは、既存の状況や体性やシステムに風穴を開け、組み替えていくための開放性そのものを呼び込むための装置である。この開放性へ向けた開けの装置としてのジェネリック(類的なもの)という考え方が次のようないくつかの源泉をもつこと、そしてその妥当性を研究では明らかにした。1.プラトンのイデア論。2.ラカンの「空虚なシニフィアン」論。3.アルチュセールの「呼びかけ」論。さらに、バディウ自身は否定的だが、こうしたジェネリックの考え方は、デリダの「来たるべき」(A-venir)という議論やドゥルーズの「マイナー性」ともつながる可能性を秘めている点も追究した。この対決的作業によって、バディウが単にドゥルーズ/デリダ世代に対する批判者であるばかりでなく継承者と見る可能性をも(バディウに反して)提示し、フランス現代思想の新しい局面を描く足がかりを築くことができたと考える。
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