2010 Fiscal Year Annual Research Report
ポスト・セキュラリズム時代の比較宗教政策研究―信教の自由、政教分離を中心に
Project/Area Number |
21520073
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Research Institution | Doshisha University |
Principal Investigator |
小原 克博 同志社大学, 神学部, 教授 (70288596)
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Keywords | 宗教 / 世俗化 / 信教の自由 / 政教分離 / 近代化 / キリスト教 / 近代日本 / 天皇制 |
Research Abstract |
本年度は、ポスト・セキュラリズム研究の前提となる近代化と宗教の関係と、ポスト・セキュラリズム時代を象徴する宗教の可視化の問題に取り組み、以下のような研究成果を得た。 第一に、西洋では近代化と共に社会は機能分化を遂げ、公的領域には政治や科学が配置され、宗教は私的領域に置かれるようになった。政教分離は近代化・世俗化の帰結であるだけでなく、宗教と結びついた過剰な暴力を抑制するための知恵でもあった。しかし、近代化によって暴力全体が抑制されることはなく、むしろ、科学・政治・宗教において、暴力の現象形態は分化していった。 第二に、社会の機能分化と共に、人間の身体もまた分割的に理解されてきた。しかし、思想・信条(こころ)と身体(社会的次元)を簡単に切り離すことはできず、現代において、こころの身体的「可視化」を求める運動が様々な形で起こっている。それは世界各地の宗教復興現象から、同性愛をめぐる議論(アメリカ)やムスリム女性のヴェール論争(ヨーロッパ、トルコなど)に至るまで多岐にわたる。そして、それぞれの議論の場が、暴力的言説、さらには暴力そのものを生み出すことがある。 9.11以降の「イスラモフォビア」(イスラームへの憎悪感情)の高まりは、欧米の各地ですでに報告されているが、それは世界的なスケールで「イスラームの本質化」が進行していると言い換えることもできる。そこでは宗教的アイデンティティが特殊化され、固定的なものとして際立たせられる。それは、ホロコーストを導いたナチス時代の「ユダヤ人の本質化」にも符合する側面を持つ。 憎悪感情や敵対意識を緩和するためには、ただ寛容や平和を説くだけでなく、「排除の力学」を分析することが重要である。世俗主義の単純な適用(宗教の社会的・文化的側面を無視した封じ込め)は必ずしも問題解決に至らない。宗教的な差異を私的空間に押し込め、差異を周縁化・不可視化することは、社会の断片化を招く危険性をはらんでいるからである。
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