2011 Fiscal Year Annual Research Report
アメリカ南部文学におけるナショナル・ナラティヴの意義―近代日本文学との比較考察
Project/Area Number |
21520286
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Research Institution | Rikkyo University |
Principal Investigator |
後藤 和彦 立教大学, 文学部, 教授 (10205594)
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Keywords | アメリカ南部 / 近代日本 / ナショナリズム / 「失われた大義」 |
Research Abstract |
本研究最終年度にあたり、アメリカ南部において南部戦争後敗退後産出されたナショナル・ナラティヴとしての「失われた大義」言説の蒐集および解析を継続した。当初予定していた夏期休暇中の各南部研究所への訪問は、震災後予算執行に慎重にならざるを得なかったため、今年1月シアトルで開催されたMLA年次大会を訪問、南部文学・文化関係の諸セッションに参加し、当該分野の研究の最先端の状況を確認し、在米研究者との協働の可能性について意見交換をおこなった。3年間の研究の結果、「失われた大義」言説発生の原理については一定の理解を得られたと考えている。 一方、近代日本においてもナショナル・ナラティヴと呼ばれ得るものの蒐集と分析を続行したが、むしろこうした言説が極端に抑圧されてゆく明治末期一一日露戦争から大逆事件の時代、石川啄木の「時代閉塞の現状」刊行期一一に特に焦点をしぼり、いわば搦め手から近代日本のナショナル・ナラティヴの原動力を探る方法にも取り組んだ。その時期に文学史的にいえば、現代まで日本文学のマトリクスであり続けている「私小説」が誕生しており、日本におけるナショナル・ナラティヴと文学の断続性こそが注目に値する問題であることを突き止めるにいたった。 この日本文学の内向は、アメリカ南部文学の場合と興味深い対照をなしている。まず公的言説から「私」言説への移行は、いわゆる文化テクストから文学テクストへの移行一般に見られる現象ではあるが、南部の後発近代性に由来する、故郷の敗北の歴史への釈明、敗北をもたらした旧社会への批判という形で盛んに書かれてきた弁明型ないし批判型の「私」言説と、近代日本のいわゆる「私小説」とは、ナショナル・ナラティヴとの連続性という観点から明かな質的相違がある。結果、両後発近代文化圏の文学を「私」言説という観点から比較考証するという新しい研究の視座を獲得することもできた。
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Research Products
(3 results)