2010 Fiscal Year Annual Research Report
Project/Area Number |
21520321
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Research Institution | Heian Jogakuin(St.Agnes')University |
Principal Investigator |
高橋 義人 平安女学院大学, 国際観光学部, 教授 (70051852)
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Keywords | ゲーテ / ヴァイマール / 文化都市 / コンパクト・シティ / ユストゥス・メーザー / 世界文学 / ふるさと |
Research Abstract |
平成22年度の課題は、近代化にともなう都市の変貌を文学作品に即して考察することだった。その中核をなしたのは、ワルシャワで開かれた国際独文学会(5年に一度開催、2000人ほどが参加)の分科会59(都市とユートピア)である。ここで高橋は司会をつとめ、全体の趣旨説明と最後のまとめを行なうとともに、「田園詩としてのヴァイマール」について発表した。本来、ここでは19世紀のドイツ人作家W・ラーベの『雀横丁年代記』を中心に、産業革命後のベルリンの変貌を考察する予定だったが、ゲーテ時代に関する発表が手薄なため、テーマを変更した。発表では、1775年にゲーテの赴任当時には人口わずか6000人だったヴァイマールが、ゲーテの生前にドイツの文化首都にまで発展した理由を、ユストゥス・メーザーの都市論を踏まえながら考察した。ゲーテがヴァイマールの町づくりに成功したのは、多くの文化人を招いたことによるのみならず、(1)大都会ではなくコンパクト・シティを重視したこと、(2)自然と共生した田園都市を目指したこと、(3)商業よりも文化を重視したこと、の3点によるところが大きい。 ヴァイマールという小さな町にいたからこそ、ゲーテはドイツやヨーロッパ全体をたえず注視していなければならなかった。晩年の彼が「世界文学」を唱え、単に「ドイツの作家」であるにとどまらず、「西欧の作家」、「世界の作家」になることができたのは、彼が小都市にいたからだった(論文「Weltliteratur bei Wieland und Goethe」)。 大都市にいれば、彼はより権威主義的国家、重商主義国家を目指さなければならなかったであろう。しかしザクセン=ヴァイマール公国において文化的国家を目指したからこそ、彼はイタリア・ルネサンス以来の人文主義(フマニスムス)の理想を実現することができた(論文「はたしてゲーテ的人文主義は時代遅れか」)。 1797年にゲーテは自分の生まれ故郷フランクフルトを訪れたとき、すべてを金に換算して考えるこの大都会に満足できないものを感じた。このときからフランクフルトは彼にとってもはや「ふるさと」ではなくなったと言えよう。しかしこれは一人ゲーテだけの問題ではない。今日、東京や大阪などの大都会に住む人々の多くは「ふるさと」を失い、別の心のよりどころを求めなければならなくなっている。そのことについて雑誌「文学」から求められたのが、論文「現代人のふるさと」である。
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