2012 Fiscal Year Annual Research Report
ジャンセニスムとポール・ロワヤル:論争と霊性(1640-1662)
Project/Area Number |
21520347
|
Research Institution | Musashi University |
Principal Investigator |
望月 ゆか 武蔵大学, 人文学部, 教授 (30350226)
|
Project Period (FY) |
2009-04-01 – 2014-03-31
|
Keywords | ジャンセニスム / ポール・ロワヤル / サン・シラン / ジャンセニウス / パスカル / 良心例学 / フランス17世紀 / 霊性神学 |
Research Abstract |
・4月~12月 12月のフランス・バイヨンヌにおける国際シンポジウムの発表準備(夏休み出張ではフランス国立図書館BNFにて関連文献の閲覧)。ジャンセニスムの二創始者と目されるジャンセニウスとサン・シランだが、思想的にはかなり異なる部分もあり、その一つが痛悔論である。告解の秘跡で神への愛を要求し、道徳的に厳格な完全痛悔主義に一貫して立つジャンセニウスに対し、サン・シランには不完全痛悔容認と完全痛悔熱烈擁護が共存する。また「改悛の秘蹟に対する最後で最大の骨抜き」という批判を、不完全痛悔のみならず「完全痛悔の祈り」に対しても向ける。以上の矛盾はオルシバルの研究でも十分に説明されてはいない。本発表では以下の2点を明らかにした。(1)臨終の際にも神への愛は不要としたルーヴァンのイエズス会博士論文、信者には神への愛は義務でないと述べた不完全痛悔主義者シルモン神父が相次いで登場する1641年の前後で、サン・シランにおける不完全痛悔の理解が変化し、最終的に断固たる完全痛悔主義者となる。(2)サン・シランの批判する完全痛悔の祈りは、形式的には厳格主義、実質的には道徳弛緩主義に陥る偽完全痛悔主義とも呼ぶべき教えを指しており、カルトジオ会士モリナやイエズス会士ボオニィがその実践者である。 サン・シランの弟子アルノーによる『頻繁な聖体拝領』第2巻第12章は、彼らに対する暗黙の批判となっている。 ・1月~3月 1641年を境にサン・シランの思想が大きく変遷したという上記の知見を受け、1639~1643年の獄中のサン・シラン尋問資料などを考察。アルノー三部作と対シルモン論争、『サン・シランの擁護』など、この次期のすべての著作が密接に関連していることが漸く了解できてきたので、『頻繁な聖体拝領』の成立過程の再検討、失われた「愛の著作」の同定に関する作業を進めた。
|
Current Status of Research Progress |
Current Status of Research Progress
3: Progress in research has been slightly delayed.
Reason
ポール・ロワヤル黎明期の「幻の三部作」の一つである、愛についての失われた著作の全体像をつかむ作業に予想外の時間がかかった。この著作が書かれた文脈を理解するには、悔悛の秘蹟において、神への愛徳chariteに基づいた完全痛悔contritionが必要か、あるいは愛徳なしに地獄の怖れに基づく不完全痛悔attritionで十分かをめぐる痛悔論争の展開を教義面から十分に理解する必要があった。ポール・ロワヤルと痛悔論争の関係は、信徒の実践的指導disciplineの観点から最近、Jean-Louis Quantinによる道徳的リゴリスムに関するすぐれた研究が出ているが、教義面は十分扱われていない。さらに、痛悔論争について古典的と評判の高い教義的研究も、ポール・ロワヤル対弛緩した良心例学という図式からは論点がずれている。痛悔論争の教義史は非常に難解であり、ポール・ロワヤルについてのこの研究の穴を埋めるために一年半に及ぶ時間を必要としたことが、遅れの最大の原因である。
|
Strategy for Future Research Activity |
対象とする時代を1640~1660年までとしていたが、フランスにおけるジャンセニスム論争がいかに誕生したか、恩寵と道徳(悔悛、良心例学、愛徳)との関係に焦点を絞り、1649~1645年までに限定する。パスカルの『プロヴァンシアル』(1656-1657)や「賭の断章」などの『パンセ』との関係については、視野には含まれるが、通史的には扱わないこととする。各論文で必要に応じて言及するほか、Tetsuya Shiokawa, Entre foi et raison : l'autorite. Etudes pascaliennes (Paris, Honore Champion, 2012)に対する日仏哲学会の書評などでポイントを示唆するにとどめておく。
|