2011 Fiscal Year Annual Research Report
Project/Area Number |
21520720
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Research Institution | Hiroshima University |
Principal Investigator |
植村 泰夫 広島大学, 大学院・文学研究科, 教授 (40127056)
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Co-Investigator(Kenkyū-buntansha) |
藤田 英里 広島市立大学, 国際学部, 研究員 (70516012)
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Keywords | 日本船 / 南洋郵船 / 大阪商船 / 不定期航路 / バタヴィア / スラバヤ / スマラン / ランプン |
Research Abstract |
本年度の当初計画は(1)当該時期インドネシアの船腹不足の地域差と貿易構造の変化の関連の解明、(2)スラバヤ糖業の栽培縮小と食糧増産政策に関する検討、(3)農村工業の発展に関する検討(以上は研究代表者が担当)、(4)植民地財政の困窮とランプンに於ける社会変化(研究分担者が担当)、の4点だったが、研究代表者の作業は昨年と同様に船腹不足問題に集中し、(2)と(3)は史料収集は進んだが実際の検討には至らなかった。(1)については、対象をこの時期に航行が急増した日本船に絞って検討した結果、(1)日本船の来航の初めは1890年であるが、当初は不定期船で日本出航後、香港、海峡植民地、マニラなどで貨物を積み込み、それを蘭印に運び、蘭印で砂糖などの物産を積んで帰国したと推定されること、(2)これは当時の日本に蘭印に供給できる工業製品が未だ十分にはなかったことの反映と考えられる、(3)1910年代に蘭印諸港を出航する比較的大型の日本蒸気船が激増したが、大戦はそれを一層進める契機となった、(4)第一次大戦期は南洋郵船と大阪商船を中心とした大船舶会社の自社船就航への移行期だったが、それ以外の会社による不定期航路は相変わらず盛んだった、(5)日本船はとりわけバタヴィア、スラバヤ、スマランを中心としたジャワに寄港が多く外領は少ないこと、(6)大戦期に初めて日本船が来るようになった港が非常に多いこと、これらは18~19年に外国航路を中心に巨船が寄港したBelawan、Padang、Tarakanと、寄港船舶隻数、容量が極めて少ないそれ以外の港に分類できること、などの新しい知見を得ることができた。これらはこの時期の日本のプレゼンスのあり方を具体的に解明する手がかりにもなりうるものである。研究分担者は、引き続いて当該時期のランプン社会の変容過程について検討を進めている。
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Research Products
(1 results)