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2009 Fiscal Year Annual Research Report

ロシア第一次革命における帝国と国民形成の相克

Research Project

Project/Area Number 21520757
Research InstitutionNihon University

Principal Investigator

土屋 好古  Nihon University, 文理学部, 教授 (70202182)

Keywordsロシア第一次革命 / 日露戦争
Research Abstract

本年度は、第一次革命の「国民」化ファクターを検証するために、日露戦争における傷病兵援護事業に関する史料の収集にあたった。2009年9月にロシア国立歴史文書館において、全ゼムストヴォ組織による傷病兵援護事業に関する史料を閲覧し、これまでの刊行史料を補完する未刊行史料の検討を行った。また赤十字の活動をめぐる同時代文献の検討を進めた。さらにマイクロフィルムで、同時期のいくつかの新聞を入手し、記事の分析を進めた。これらから、以下の点を明らかにした。
戦争中に勃発した第一次革命が進行するなかでも、ゼムストヴォを初めとする社会組織の傷病兵援護は継続していたが、他方でゼムストヴォの周辺に集う自由主義者たちは、革命の過程で「国民代表制」と憲法を求めて革命勢力とも協調していた。自由主義者たちは、戦争協力の一方で、専制体制の変革を求める革命の一要素となっていたのである。これを体制の側からみれば、ロシア専制は、戦争という重大な国家的危機に際して、ゼムストヴォのような社会的勢力の支援を得なければ、それを切り抜けることができなくなっていた、ということを意味していた。軍部の医療体制だけでは、日露戦争がもたらした多大な人的被害に対するケアはまかないきれなかった。しかし、このような社会的力の成長を前にしても、ロシア政府は、無制限専制体制の維持を図るために、自由主義者たちが要求する国民代表制や憲法の要求は拒絶していたのである。以上である。ここで明らかになった状況からみれば、戦争の帰趨がロシアの敗北に傾き国内では革命が進行するという状況のなかで、ロシアの専制体制が、一次的に譲歩せざるを得なくなるのは、ある意味で必然であった。しかし、戦争が終結し、専制が譲歩すると、革命の側では、自由主義者が思い描いていた国民的一体性は崩れ始める。この点の分析が次年度の課題である。

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Published: 2011-06-16   Modified: 2016-04-21  

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