2010 Fiscal Year Annual Research Report
Project/Area Number |
21530265
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Research Institution | Tokyo Metropolitan University |
Principal Investigator |
梅田 雅信 首都大学東京, 社会科学研究科, 教授 (40438114)
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Keywords | 金融論 / 経済政策 |
Research Abstract |
研究2年目に当たる22年度は、研究計画書に沿い、『日銀の政策形成-「議事録」等にみる、政策判断の動機と整合性』というテーマで成果をとりまとめた。本稿では、10年後公開ルールによって公表済みの日本銀行金融政策決定会合の議事録・執行部提出資料の詳細分析を柱に据えて、他の定量的分析も加味しつつ金融政策決定会合の運営状況について詳しい検討を行った。その分析結果からは、第1に、2000年8月のゼロ金利政策解除は、速水総裁等日銀執行部が民需中心の自律回復過程に入ったとの判断から主導したことが明らかとなった。第2に、時間軸政策の着想を初めて提案した植田委員と山口泰副総裁の連携プレーで事後的に導入されたゼロ金利政策の解除条件であったが、2000年夏場の時点で、日銀執行部と植田委員との間で見解が分かれることになった大きな理由は、時間軸政策が意味するコミットメントの性格や継続期間に関する考え方が、両者の間で異なっていたためと判明した。第3に、ゼロ金利解除に初めて議決延期請求権を行使した政府の判断との違いについてみると、(1)政府が雇用情勢の厳しさなどから個人消費が停滞しているとみたのに対して、日銀は企業収益の増加が時間差で家計所得の増加につながるとみていたこと、(2)政府は株価の下落や消費者物価の下落傾向の意味を重視していたのに対して、日銀は、足許の実体経済指標の堅調さを踏まえ、消費者物価の下落を「良い物価下落」と捉え問題視していなかったことが挙げられる。第4に、新日銀法施行後の約2年半の間、日銀が必ずしも政策変更の一貫性・整合性を確保できなかった理由は、当時、日銀が物価安定の考え方を十分に確立できていなかったことによる面が大きいと考えられる。
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Research Products
(2 results)