Research Abstract |
平成21年度の「交付申請書」の「研究実施計画」に記載した3点の課題について,得られた研究成果,新たな知見は以下のとおりである。 第1に,サウジ・アラビアにおいてエクソン社などは「事業参加」を容認する一方,アラムコの生産量を1980年までに72年時点の3,4倍に増加させること,およびこれによってサウジ・アラビアを,西ヨーロッパ,アジアのみならず世界市場全体への供給拠点とする構想を描いた。しかし,この戦略は73年の4月頃には早くもその実行が危ぶまれ,「第1次石油危機」が勃発した同年秋には,その後の事業計画(75年以降)は縮小されることとなった。それは,急速な生産増を可能にするための設備,労働力,その他の基本条件の確保,現存の油田の保全などに大きな難点が存在したことによる。エクソン社などは現実からかなり遊離した構想を策定したと考えられるのである。 第2に,中東と北アフリカでは,国際石油企業による支配権の喪失は,多くの場合,短期的かつ劇的であったが,ヴェネズエラでは「国有化」の後もエクソン社は現地から撤退することなく現地政府との協力関係を維持した。だが,1970年に獲得した143万8000バレル/日の原油は,80年には43万バレル/日にまで低下した。ヴェネズエラもまたエクソン社にとって,原油獲得拠点としての地位を大きく低下させたのである。 第3に,アラスカ油田(1968年発見)は,当初は,エクソン社によるアメリカ市場での支配力の強化において必ずしも高い位置づけを与えられたとはいえない。だが,70年代後半以降,ヴェネズエラから入手しうる原油が減少し,中東でも油田支配権のほぼ完全喪失の事態を見るに至って,その重要性は一挙に高まったと考えられる。これに対して北海は,エクソン社の最大市場である西ヨーロッパに所在する供給拠点であり,同社は初発から大きな期待をかけた。但し,探鉱・開発費用などは巨額であり,直ちに大規模な事業展開がなされたとは言えない。 以上は,1970年代のエクソン社による原油生産活動の全体を解明する上で極めて重要な要点をなす。
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