2011 Fiscal Year Annual Research Report
近代化転換の観点から見たソビエト教育史(1930年代)の実証研究
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21530783
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Research Institution | Hokkaido University |
Principal Investigator |
所 伸一 北海道大学, 大学院・教育学研究院, 教授 (50133682)
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Keywords | ロシア / ソビエト / 教育史 / 1930年代 / P.ブロンスキー / N.クループスカヤ / M.ピストラーク / 教育課程 |
Research Abstract |
本研究計画の目的は、現地の図書館と公文書館で資料開拓を行うことにより、1930年代ロシアにおける労働学校・ポリテフニズム理念の放棄の過程と「系統的」な教育課程・評価制度のソビエト的構築の過程を解明すること、及び、そこにおける教育学者・心理学者、P.ブロンスキーの活動に関する新しい評価を行うこと、であった。計画第三年次の研究で、9月に資料調査(8日間)を実施し、以下の諸点を解明できた。(1)ブロンスキーの諸活動と方法論に関する研究史では、「マルクス・レーニン主義」に徹しない折衷的なものとして批判的にとらえてきた従来のものから「多元的」で現代的だとする積極的評価への転換を1980年代後半以降行っていた教育学者群をF.フラドキン「学派」と整理しうる。(2)スターリン体制は政策・法令の上では「ポリテフニズム学校」の標語を掲げ続けたが、1935年からは、全国優秀学校コンクールにおける評価重点に見る限りでも、校内秩序の確立やロシア語教育の「成果」に、重点をシフトさせた。(3)教育人民委員部の30年代中期の主要シンクタンク、中央教育学研究所における授業論論争を経たM.ピストラーク(ブロンスキーと同様、クループスカヤ側近の教育学者・大学教授)の、教育の主体性に関わる「左」右の批判を貫いた大学教科書「教育学」(1934-1936年、計3版)が評価された。(4)政権側は彼を1936年秋同研究所長に据えたが、37年には主体性「不十分」として粛正で葬り去るなど、その教育課程路線に「安定」を見い出せず、とりわけ教育評価の論争は40年まで続いた。以上第三年度の成果は、一部は私の公開・最終講義「20世紀ロシアの教育学遺産-P.ブロンスキー」(2012年3月17日)で公表したが、これを含めて現在、論文化中である。
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