2011 Fiscal Year Annual Research Report
1920年代から1940年代における小学校教員の意識と行動
Project/Area Number |
21530805
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Research Institution | Bunkyo University |
Principal Investigator |
太郎良 信 文教大学, 教育学部, 教授 (20236772)
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Keywords | 全国連合小学校教員会 / 『教育報国』 / 中沢留 / 国分一太郎 / 生活綴方教育 |
Research Abstract |
まず、収集につとめてきた全国連合小学校教員会の機関誌『教育報国』のうち新たに現物で入手したもののなかに第2巻第3号(1936年3月発行)が含まれていた。同号は、1936年の2・26事件に関する記事を理由として発禁処分をうけたものである。発禁の理由とされた記事は、全国連合小学校教員会幹事長であり『教育報国』主幹であった中沢留(東京市愛宕小学校長)による「二・二六事件名分の弁」であり、反乱将校たちの行動に理解を示し、彼らの行動は後世において肯定的な歴史的評価を得るであろうとするものであった。これは、「『教育報国』主幹」としての中澤の文章であるが、同時期の全国連合小学校教員会の意識を反映したものでもあったとみられるものであり、国策を率先して担ってきた同会の社会的役割を端的に示すものであったとみられる。 他方、戦時体制がすすむなかでの、小学校教員の変化をみた。山形県の小学校訓導であった国分一太郎の綴方教育論の変化の分析をおこなった。国分は1930年頃から1935年頃にかけて、綴方教育を文章表現技術指導にとどめずに生活勉強の指導でもあるとする生活綴方教育実践をおこなっていた。ところが、1936年5月頃から生活綴方教育実践を椰楡したり自嘲したりする言動を始め、同年秋からは生活綴方教育批判の雑誌論文を発表するようになる。これは、教育実践上の問題による変化ではなく、1932年の教労事件にかかわる国分の前歴を踏まえて国分を監視していた視学や校長の干渉が1935年秋から強まっていたことに加えて、2・26事件後の社会の動きを見据えて、生活綴方教育批判の立場に自らをおこうとしたものとみられる。
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Research Products
(2 results)