2009 Fiscal Year Annual Research Report
室町~江戸初期における朝廷・天皇・公家衆の発給文書と政治的動向
Project/Area Number |
21720238
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Research Institution | Takachiho University |
Principal Investigator |
水野 智之 Takachiho University, 商学部, 准教授 (00468240)
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Keywords | 公家勢力 / 本願寺 / 九条植通 / 蓮如 / 証如 / 蓮淳 / 足利義晴 / 足利義維 |
Research Abstract |
今年度は研究計画に基づき、全国の自治体史や刊本史料集の調査を進め、掲載史料の収集・整理を行った。名古屋大学、京都大学の所蔵する史料や写真帳についても調査を行った。また、翻刻予定の史料についても確認や翻刻を進めた。いずれもアルバイトの学生を適宜、動員して実施した。 学会発表としては「戦国期の公家勢力と本願寺の動向」と題した報告を行った。これは本願寺と、本研究の対象である公家勢力との関わりという観点から論じたものである。その報告を元に論文を執筆した。これは現時点で未刊行だが、2010年度中には刊行される予定である。そこで明らかにしたことは次の点である。(1)文明十二年に山科本願寺が建立されで従来はこの建立を契機に本願寺は天皇を始めとする公家社会と接近したと評価されていたが、文明六年以前に順如と飛鳥井雅親の娘が婚姻していたので、その接近はもう少し早くから始まっていたこと、(2)長享~明応年間に、本願寺は近衛家と結びつきの深い公家衆との交流を深めたこと。九条家は永正年間にかけて本願寺も直接交流することはなかったようであり、近衛家と九条家はやや対立的な状況が見られたこと、(3)大永~享禄年間に、本願寺は天皇との交流をさらに深め、享禄元年に証如は九条尚経の猶子となった。この交渉は光応寺蓮淳が主体的に進めたと見なされ、蓮淳は証如を九条家の猶子にすることで、勧修寺家や正親町家と親密な一家衆寺院に優越することを明確にしたと考えられること。足利義晴は近衛家と関わりを深めていたが、関白職をめぐって近衛晴通と対立していた九条植通は困窮もあって、天文三年十一月二十一日に大坂へ出奔し、足利義維方と与同したこと、などを明らかにした。
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