2009 Fiscal Year Annual Research Report
ローマ帝国とアテネ ―ギリシア・ルネサンスの政治史的研究―
Project/Area Number |
21720276
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Research Institution | Kyoto Women's University |
Principal Investigator |
桑山 由文 Kyoto Women's University, 文学部, 准教授 (60343266)
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Keywords | ローマ / ギリシア・ルネサンス / アテナイ / 第2ソフィスト |
Research Abstract |
交付初年度であるので,基本的研究環境の整備に重点を置いた。第一に,ローマ元首政期の文献史料,とりわけギリシア・ルネサンス関連のものを中心に,刊行されたテキストや註釈書の収集を行い,第二に,関連する碑文集や貨幣史料集,発掘調査報告の収集にあたった。そのうち,ギリシア=ルネサンスの担い手であった第2ソフィストを代表する人物ヘロデス=アッティコスに関する文献の収集に力を注いだ。その上で,2010年3月6~13日にかけてギリシア共和国のアテネへの調査旅行を行なった。アテネは,ギリシア・ルネサンスの中核的位置を与えられ,2世紀にはローマ帝国の「文化首都」としての役割を果たすようになったからである。1世紀後半以降,アテネがそれまでとは異なる,いかなる変容を遂げたのか,関連遺跡について諸情報を収集し,考察を進めた。その結果,次のような点を明らかにすることができた。 ハドリアヌス帝期におけるアテネ改造計画は,治世末になってようやくその姿を現した。従来軽視されてきた次皇帝アントニヌス=ピウスの時代にこそ,アテネの「文化首都化」は本格的に始動したのである。このようにアテネがローマ中央からの積極的関与によって変容させられていくにあたり,ヘロデス=アッティコスとその父こそが,ローマ皇帝のブレーンにして,現地総責任者的存在であった。アテネ初の元老院議員であった彼らが,ローマ中央とアテネとをつなぐ結節点的役割を果たすことで,アテネはハドリアヌス帝期以降,持続的に帝国「文化首都」として成長していくことが可能となったのである。
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