Research Abstract |
研究代表者・石坂は,これまでドイツ連邦共和国・フランクフルトのドイツ連邦銀行資料室,コブレンツのドイツ連邦文書館およびアメリカ合衆国ワシントンDCの国際通貨基金(IMF)資料室,国立公文書館(National Archives and Records Administrations)において資料収集を行い,ドイツとブレトンウッズ機関の経済的・金融的関連,特に1950年代後半の公的資本輸出の促進について検討してきた。 本年度は研究期間の最終年度にあたり,ドイツの公的資本輸出が国際復興開発銀行(IBRD,以下,通称名の世界銀行(World Bank)と省略する)を通じてどのように実施されたのか,また,その資本輸出はどのような意義を持ったのか,ドイツの資本輸出国としての国際的貢献について検討した。 ドイツの貿易・為替自由化は,1956年にほぼ完了した。これ以降,アメリカを中心とした国際的圧力の下で,ドイツの資本輸出が促進されるようになった。しかし,その一方でドイツ資本市場の未発達が指摘され,国内の資本需要を満たすことなく,資本輸出を実施することの是非が議論となった。アメリカによる圧力とは,ドイツの経常収支黒字を相殺するレベルを超え,ドイツに対し第二次大戦後にアメリカが果たしてきた役割,すなわち長期にわたる開発途上国援助や軍需負担をアメリカと共有するように求めるものであったからである。 しかしながら,ドイツに対し経常収支赤字を抱えるヨーロッパ経済協力機構(OEEC)諸国への配慮から,ドイツは公的資本輸出を実施した。この資本輸出は国際的資金の流れの中に組み込まれ,短期・中期の形で流動性を供給した。このうち世界銀行へのローンと出資金マルクの解除が大きな比率を占めた。世界銀行は諸外国へローンを実施したが,ローンにかかわる輸出総額28億ドルのうち,ドイツ企業は機械・鉄道・港湾整備・エネルギー供給の分野を中心に2億7,000万ドルを占めた。また,ドイツはこのローンを通じて特にインドの鉄道近代化事業に大きく貢献した。以上の検討結果については,「IMF14条国時代のドイツ(1952-1961年)」と題して公表を予定している。
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