2010 Fiscal Year Annual Research Report
明治後半の東京における病院の立地と建築―医療・衛生からみた都市と建築の変容
Project/Area Number |
21760505
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Research Institution | Nippon Institute of Technology |
Principal Investigator |
勝木 祐仁 日本工業大学, 工学部, 准教授 (00508989)
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Keywords | 病院 / 医療 / 明治 / 近代 / 東京 |
Research Abstract |
本研究は、明治後半の東京に存在した私立病院の立地と建築的実態を明らかにし、医療・衛生という観点から史的評価を行うことで、都市・建築の近代化につき、新たな視角を与えようとするものである。これまで、明治期東京の病院建築の研究では、官公立病院や大学病院が主な対象とされ、より多数を占めた私立病院はほとんど扱われてこなかった。その一因として、私立病院については、官公立病院や大学病院に比べて、研究のための史料が残存しにくいことが挙げられる。しかし、明治後半には、医療に関する法規・団体・施設などを集成した著作が出版されており、建築や設備に関する記述もみられる。本研究では、そのような著作を「医療案内書」と称することとした。本年度は「医療案内書」を主な史料として、研究対象時期の東京における私立病院の建築的実態について検討を行った。 「医療案内書」の記述および写真に基づき検討した結果、30年代半ばにおいて「和式」の外観を持つ病院も少なくなかったが、40年代半ばには「洋式」が主流になったと推察される。病室数は、30年代半ばから40年代半ばにかけて、各病院で増加傾向がみられた。病室の形式については、和室・洋室がともに広く採用されている。設備については、明治40年代における複数の病院に「研究室」が存在し、一部の民間病院が研究の機能を有していたと言える。レントゲンや、蒸気消毒設備についての記述も散見された。すなわち、明治30年代から明治40年代半ばにおいて、病院の急増とともに、東京の民間病院の外観の洋式化が急速に進み、「研究室」やレントゲン等の欧米の進んだ医療設備の導入もみられたと言える。その一方で、病室については洋室とともに和室も重用されていた。このことから、患者に配慮し、日本の伝統的な起居・格式に基づく空間が設けられていたと言える。
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