2010 Fiscal Year Annual Research Report
Project/Area Number |
21760507
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Research Institution | Heian Jogakuin(St.Agnes')University |
Principal Investigator |
栗本 康代 平安女学院大学, 国際観光学部, 講師 (20410954)
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Keywords | 内裏 / 近世 / 倚廬 / 御学問所 / 小御所 / 儀式 / 修理職大工 / 木子家 |
Research Abstract |
本研究は、寛政度内裏の造営日記に基づいてその設計過程を検討し、文献と指図・絵図を分析することにより、寛政度内裏を中心に、近世内裏の空間的特質を生活と儀式の視点から明らかにすることを目的としている。本年度の研究は、これまでに収集した資料の整理と考察に力点を置き、考察で得られた成果を論文にまとめ、発表した。資料の整理と考察では、指図の整理と分析が全体の9割まで進捗し、古文書の分析を進めている。論文については、昨年度に引き続き、天皇が両親などの喪中に籠られるために内裏に設けられた「倚廬」に関する資料を分析し、近世における内裏の建物と倚廬の設営場所、倚廬の空間と構成、倚廬での儀式が明らかになった。すなわち、近世における倚廬は13例で、当初は主に小御所に設けられたが、宝永7年(1710)の東山院凶事以降は御学問所に設営された。倚廬は、倚廬殿、殿上、御湯殿・御厠の3つの施設で構成された。御学問所に設けられた倚廬殿は、床を一部切り下げて板敷が設けられ、四方には芦簾が掛けられ、菰を張った天井が一部に設けられた。板敷の上には猫掻が敷かれ、竹の御帳台、御座畳、女官座、竹灯台などが配された。これらの調度の素材は竹、藁、鈍色の布などで、服喪のための質素で特別な空間が形成された。倚廬での儀式は、倚廬渡御に始まり本殿還御で終了したが、その期間はほぼ13日間で、近世においても諒闇が継承されていた。また、禁裏御所の小さな普請や節会の場の設えなどを担当していた修理職大工に注目し、寛政度内裏の造営に関わっていた修理職大工の木子家に関する資料を分析して、木子播磨家、木子甚三郎家、木子作太夫家の三家の仕事、地位、関係などが明らかになった。
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Research Products
(4 results)