2010 Fiscal Year Annual Research Report
中国山西省山間部における資源開発と社会変容の関係:碑刻資料を用いた環境社会史研究
Project/Area Number |
21820067
|
Research Institution | Otani University |
Principal Investigator |
井黒 忍 早稲田大学, 高等研究所, 助教 (20387971)
|
Keywords | 湖沼の消滅 / 鉱山開発 / 木材伐採 / 民山 / 山水 / 呂梁 / 碑刻 / 山西商人 |
Research Abstract |
18世紀、顕在化する人口の急激な増加に伴い、呂梁山区東部を流れる汾河の平野部においては、官民双方による灌漑水路の開鑿や堰堤の設置を通した耕地開発が加速度的に進展した。その過程において、汾河に沿って存在した湿地や湖沼が相次いで干拓・耕地化されたが、これは汾河の増水時における遊水地の消滅をも意味するものであった。一方、山間区においては土地条件の制限により大規模な農業開発は行われず、石炭を中心とする鉱業と林業に開発の矛先が集中した。 禁令により民間における私的な鉱山開発が制限されたため、開発の担い手となったのは政府の認可を受けて採掘を請け負った地元の山西商人や内務府より認可を受けた王綱明ら特権商人らであった。ただし、露天掘りによる石炭採掘は夏期に集中する降雨の被害を受けやすく、雨水の流入により容易に炭鉱は水没し、各地に廃坑が出現することとなった。また、木材の伐採に関しては、民山と呼ばれた私有林においては伐採および自由な売買が許可されており、耕地の稀少な交城県の山間部では植樹と伐採が農業に代わる主要な生業形態となっていた。ただし、磁器製造および木材伐採の進展は、山間区の表土露出を招き、山水と呼ばれる山々からの流れ出た鉄砲水は黄土高原の谷筋(溝)を流れ降る間に大量の土壌を包含し、その平野部と山麓部に土石流の被害をもたらした。 山間部における石炭や鉄などの鉱業への依存、山麓部および平野部における洪水・土石流被害の増加、19世紀以降に急速に拡大した罌粟栽培などによって呂梁山区の農業生産力はさらに低下し、呂梁山区から黄河を越えて内蒙古南部・西部への移民が増大した。また、山西から陝西に石炭・鉄・酒・棗などの産品がもたらされ、陝西からは穀物が山西にもたらされるといった物流が確立され、旱魃などの自然災害に対して脆弱な生業形態が生み出されることとなった。
|