2021 Fiscal Year Annual Research Report
セバスティアン・カステリオンの思想とその教育的意義
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21J10778
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Research Institution | Hokkaido University |
Principal Investigator |
小山 誠南 北海道大学, 教育学院, 特別研究員(DC2)
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Project Period (FY) |
2021-04-28 – 2023-03-31
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Keywords | セバスティアン・カステリオン / 寛容 / 教育 / 懐疑 / 良心 / 理性 / 完成可能性 |
Outline of Annual Research Achievements |
令和3年度の研究活動として、公刊されているカステリオン自著に加え、直筆手稿などの未公刊史料についてのオンラインサービスによる目録化と、国内外のカステリオン研究書の所在の特定に従事した。文献検索の結果、カステリオン自著についてはスイスデジタル図書館(e-rara)を筆頭に、紙・電子媒体を通じてアクセスできることが判明した。また研究書については所在の明らかとなったものから入手し、複写や記録を行った。 以上の文献の中で、①カステリオン思想の全体像の把握、②カステリオン思想における「寛容」の意義の検討、③カステリオンが「寛容」を重視した意図の検討、④カステリオンの教育史への位置づけ、という4点に留意しつつ、具体的内容の検討を要するものから読解・分析を開始した。特に注目したのは『疑うすべについて』と題された著である。同著を検討した結果、特に前の②、③に関連して、カステリオンの「寛容」は懐疑主義に由来する判断留保を通じた「良心の無動揺」と、「理性」および信仰の協働に基づく人間の完成可能性への期待という二つの根拠を有することが明らかとなった。また同著は全2巻からなるカステリオンの絶筆であるが、彼の神学・教育思想の集大成として企画されたことも判明し、①の観点からも極めて重要な著述であるといえる。 他方、カステリオンの「完成可能性」をさらに詳らかにすべく、彼の手による『ドイツ神学』の翻訳についても検討した。『ドイツ神学』は14世紀に独語で記された作者未詳の著で「キリストの生」の模倣を人間の完成と定めている。同著はマルティン・ルターにより広く知れ渡ったが、カステリオンはその羅・仏語訳を公刊している。彼が『ドイツ神学』に教育的意義を認めて援用しつつ、神の愛への到達こそが完成可能性だとする独自の完成観を主張したことは前の④に示唆を与えている。 以上の研究成果は3本の論文として当該年度中に公開した。
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Current Status of Research Progress |
Current Status of Research Progress
2: Research has progressed on the whole more than it was originally planned.
Reason
本研究は異端への迫害が凄惨を極めた16世紀スイスで活動し、ジャン・カルヴァンの論敵としても知られるキリスト教神学者セバスティアン・カステリオンの宗教思想と事績に着目して、その教育史学的意義を関連史料に即して闡明するものである。この目的の下、主としてオンラインサービスを利用することで、カステリオンに関する多数の一次・二次史料を収集・目録化・記録することができている。ただし現物を確認すべき一部の未公刊史料や稀覯本について、世界的なパンデミックによる海外渡航制限のため、次年度への延期を強いられた場合もある。 入手した文献の読解・分析により、『疑うすべについて』と題された著述の重要性が明らかとなった。同著にはカステリオンの有する、過誤の回避と人類への期待の故に寛容を導き出す論理と、キリスト教教義への理性を原理とする懐疑が看取できる。こうした成果は2本の論文にまとめて公開することができた。 また『疑うすべについて』の読解の過程で、現世における人間の完成可能性をカステリオンが肯定していたことも判明した。この点から彼の教育史学的意義について明証すべく、さらなる分析を行ったところ、彼による『ドイツ神学』の翻訳刊行の過程に着目する必要にも迫られた。原文を独語とする同著は「キリストの生」の如き従順と愛の実践を説くものの、此岸の人間にはその完璧な模倣が不可能であることも唱えている。しかしカステリオンは同著の羅・仏訳を行う傍ら、そうした生き方への倣いを通じた神の愛への到達こそが人間の完成可能性であるとして、信徒の教育に役立てようとしていたことが明らかとなった。この成果については1本の論文として著すことができた。これらの成果により、従来、『聖対話篇』を基本に説明されてきたカステリオンの教育思想についての新たな地平が開拓されつつある。 以上の状況をもって、本研究は概ね順調に進展していると評価する。
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Strategy for Future Research Activity |
本研究を進めるにあたり、「教育における寛容」の在り方や「寛容とは何か」という問いへの解答を得ることも目指している。現代はグローバル化の進展に伴ってヒト・モノが絶えず移動する時代である。そこでは他者・異文化への「寛容」を倫理的規範として共有する態度が求められるが、実際には良心の侵害を徹底して忌避するあまり、寛容が「無関心」へと変質する状況も見受けられる。こうした実生活上の問題を解消するべく、真なる寛容とは何かを問うことは、現代における教育の新たな責務を唱えることに通じる。そこで歴史的研究として、古代・中世までキリスト教教義・教団を破壊する危険思想として理解されていた寛容が、17世紀以降の西洋啓蒙時代に市民社会の原理的基盤として据えられるという劇的変化の過程を闡明すべく、16世紀スイスにあって、異端論争における先駆的な寛容論を展開したカステリオンの、未だ十分に検討されていない思想と実践の教育史学的意義を探究している。 だが史料の読解を進めるなかで、彼の先駆性は先行研究の多くで過剰に強調されてきたのではないか、という興味深い見識を得つつある。というのは、20世紀以降の研究のほぼ全てが「寛容論者」という近代人としてのカステリオン像を無批判に踏襲してきたからである。しかしカステリオンもまた先人の思想から影響を受けていたのであり、かつ後進の尽力なくして彼自身の思想の伝播は叶わなかった。今後は従来のカステリオン像を見直す着実な歴史的研究が求められる。そこで16世紀キリスト教のみならず、アウグスティヌスや古代ギリシア・ローマの哲学を含む西洋思想全般、スイスのみならずオランダをはじめとした、寛容論争が繰り広げられた西欧広域を俯瞰する必要性を強く感じている。よってこうした立場から本研究を遂行するとともに、改めてカステリオンを分析し、現代に通ずる寛容への答えを探求したいと考えている。
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Research Products
(3 results)