2022 Fiscal Year Research-status Report
Research and study of the Gobu-Shinkan -collection of Onjo-ji- by optical method
Project/Area Number |
21K00145
|
Research Institution | Hiroshima University |
Principal Investigator |
安嶋 紀昭 広島大学, 人間社会科学研究科(文), 教授 (40175865)
|
Project Period (FY) |
2021-04-01 – 2024-03-31
|
Keywords | 美術 / 台密 / 園城寺 / 五部心観 / 図像 / 密教 / 三井寺 / 光画像計測法 |
Outline of Annual Research Achievements |
2022年度は、園城寺五部心観二巻のうち前欠本について、昨年度に引き続き研究協力者である髙間由香里氏(大阪教育大学准教授)のご助力を得て、肉眼による詳細な観察は勿論、(1)4x5判カラーポジフィルム、(2) 顕微写真 (Medical Nikkorレンズを使用した35ミリカラースライドフィルムと、 OLYMPUS製TG-6やHOZAN製レンズL-630・USBカメラL-836によるデジタル写真)、(3)反射・透過赤外線写真など、光画像計測法を応用した調査を実施した。最澄の大遠忌1200年を記念し、2023年5月下旬まで特別に開扉されている間に、集中的に調査を行ったものである。特に、HOZAN製顕微鏡による詳細な観察を通して、現場で線質を見極め得たことは大きい。 また、パリに五週間ほど滞在し、Universite Paris Cite(パリ大学)などの研究者等と五部心観の内容およびその仏訳についての共同研究を実施したほか、Maison de l'asie(アジア会館)を会場として、パリ大学、Centre de recherche sur les civilisations de l'Asie orientale(東アジア文化研究センター)、Ecole pratique des hautes etudes(高等研究実習院)の三者共催、College de Franceの協力のもと、演題“Les tresors secrets du temple Onjyo-ji (Mii-dera) : un nouveau regard sur le bouddhisme esoterique japonais-園城寺(三井寺)の秘仏:日本密教における新しい視点-"の講演を実施し、美術史学ばかりでなく宗教学、チベット学の研究者たちとも意見交換を行った。
|
Current Status of Research Progress |
Current Status of Research Progress
1: Research has progressed more than it was originally planned.
Reason
HOZAN製顕微鏡の使用による線質の分類に基づき、前欠本についても、制作に携わった描き手について予想以上の重要かつ興味深い知見が得られた。すなわち従来の学説は、前欠本も全てを一人の画家が描いたという前提で考察されてきたが、描き手は計三人あるいは四人いることが判明したのである。まず一人は、一定の速度で筆を運ぶ技術はあるものの線描の太さが単調で表情に乏しく、図像(かたち)に忠実であろうとするあまり時には筆を捏ねることも厭わない。また一人は、さらに「なぞる」作業に手一杯で、起筆から筆が寝ていることもしばしば認められる上に運筆速度もたどたどしく、ほぼ素人の域を出ないとすら言い得る。こうした二人に比べると、残る一人あるいは二人の技量は卓抜で、線質は引き締まった中にも描写対象の質感に応じた表情をある程度含み、名のある絵師の手を想起させる。 ところで、前欠本が赤黄色を呈している理由として、一つの有力な仮説が見付かった。いわゆる「黄硬紙」の使用である。これは、適度に温めた台上に置いた紙の表面に蜜蝋を塗ることで透明化させ、親本上に重ねて透写に用立てるものであり、前欠本の変色は蜜蝋に因ると推察される。多くの箇所で墨がはじかれ、ダマになっているのもそのためであろう。すると転写の際、上手な画家ほど親本の線質をも写し取ることが可能になる訳であるが、ここで注目されるのが、たった一尊ではあるが、親本である完本の線質に全く拘泥せず、描き手本来の線描を駆使した描写が認められることである。その描き手は、躊躇せずに打ち込んだ起筆の力をそのまま持続してゆっくりと、執拗とも言える程に収筆まで保ち、極めて粘りのある線描を引き切っている。この一尊だけの特徴を、偶然と見做すか、あるいはもう一人の別の描き手によるものと考えるかが、五部心観における表現・技法研究の最後の課題である。
|
Strategy for Future Research Activity |
表現・技法については、問題の一尊についてさらに検討する。完本の影響から脱したその線質は直ちに高山寺所蔵国宝鳥獣人物戯画甲本前半部を想起させ、前欠本に絵師らしからぬ二人の描き手が存在することと併せ考えれば転写は寺内で行われたものと想定され、奈良国立博物館所蔵重要文化財胎蔵図像等の如く鳥羽僧正覚猷(1053-1140)の関与、就中覚猷自身の筆である可能性が高い。 また、図像に関する従来の研究が悉曇文字の内容や『六種曼荼羅略釈』のような言葉に惑わされていたのに対し、あくまでも絵画自体を見据えて考察を深めたい。 まず問題なのは『略釈』の「絹素之上長可尺白餘径減此半」という記述で、横30センチ余り、縦15センチばかりの絹を巻子のように継ぐとは考え難く、しかも縦巾からすれば五部心観の真容部分(完本で月輪直径12.5センチ)しか収まらない。つまり善無畏の五部心観は、貝葉の如く真容のみを一枚に2尊ずつ描いたものと推察され、従って真言と各種印類は後世紙本に写した時に加筆されたと考えられる。 次に、第二曼荼羅の真容は毘盧遮那を除き全てが女尊形であり、第三曼荼羅の五仏の真容はいずれも菩薩形であり、第四曼荼羅中尊の図像は毘盧遮那ではなく不空成就で、しかも四仏以下はこれもまた全て女尊形である。第五曼荼羅中尊が禅定印ではなく拳印を縛していることも、第六曼荼羅の金剛薩タ月輪が中段に食み出してまで善無畏と視線を合わせていることも、これまで等閑視されてきた。 こうした諸特徴は、『金剛頂タントラ』を持ち出すまでもなく、不空訳『金剛頂瑜伽経十八会指帰』に一致もしくは発展していくものであり、五部心観が『広本金剛頂経』完成以前の「初会」を絵画で顕現していることが推察される。さらに各尊の向きに注目すれば一つの曼荼羅が形成されることを、本年9月の日本印度学密教学会で発表するべく応募中である。
|