2021 Fiscal Year Research-status Report
清朝康乾年間における、地方文献編纂と詩会活動を背景とした杭州詩人達の葛藤と文学
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21K00337
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Research Institution | Fukuyama Heisei University |
Principal Investigator |
市瀬 信子 福山平成大学, 経営学部, 教授 (50176294)
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Project Period (FY) |
2021-04-01 – 2024-03-31
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Keywords | 杭州 / 詩 / 地方 |
Outline of Annual Research Achievements |
清代前半期、杭州詩人が移動した先として揚州での記録を調査し、彼らの活動と意義について考察した。調査対象は、まず官僚編纂による地方誌及び関連の記録を主とし、続いてそこに記載してある事実の確認と詳細を調べるために、地方詩集、別集及び筆記の調査を行った。 地方誌では、明代万暦揚州府志、清代康熙、雍正、嘉慶揚州府志について調査を行った。とくに嘉慶揚州府志は最も大部であり、詩に関する記録も多く、調査の多くはこの資料を中心に行った。また、出身地の杭州府志に彼らの揚州における記録が多く残っていることから、杭州府志の調査も実施した。 揚州府志は、万暦に比較し、清代には詩の収録箇所、収録数が増加するが、嘉慶では顕著にその数が増える。嘉慶には杭州詩人の詩会の詩が多く含まれる。詩の主六箇所は古蹟、山川、祠祀、寺観等である。古蹟には清代のものが多く含まれ、それを詠じた詩を集めるのに、詩会の詩が多く採録されている事実をまず明らかにした。その理由として、当時個人の詩集の刊行数が減っており、頻繁に刊行された詩会の詩集が資料として有用であったこと、古蹟には、詩会の場となった園林や建築が多く含まれることが要因の一つと考えられる。それらの詩会の主体は杭州を中心とする浙江詩人であった。当時杭州詩人が多く揚州に寄寓していた理由の一つに地方志への詩の提供者たる役割があったことをこれらは示している。揚州は地方志の編纂が盛んであり、それと詩会の隆盛の時期が一致すること、杭州詩人が揚州詩会に歓迎され、貧困にあえぐ詩人が多く招かれたという記載から、彼らには何らかの役割があり報酬が用意されたと考えられるが、これまで具体的その内容が示されたことはなかった。それが地方志への詩の提供であることを、各種資料の調査から明らかにすることができた。この成果は「清代揚州地方文献にみる杭州詩人の活動」(『経営研究』第18号)としてまとめた。
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Current Status of Research Progress |
Current Status of Research Progress
3: Progress in research has been slightly delayed.
Reason
当初、中国の揚州市図書館で、陳章の文集を調査するなど、揚州での地方文献の直接調査を予定していたが、コロナ禍で中国への入国ができなかったため、文献調査ができなかった。台湾国家図書館で予定していた清代文献調査も、同様の理由でできなかった。また国内の大学図書館も、外部者の利用を制限していただめ、思ったような調査を進めることができなかった。よって、予定していた文献調査の範囲が狭まってしまった。多くの文献を調査することができれば、より地方志と杭州詩人の活動を関連できる資料が発見できたのではないかと考える。 こうした活動の制限により、予算に組んでいた旅費を使用することができなかった。 同時に、中国で予定されていた書籍の刊行が遅れたこと、また書籍を注文しても、ロックダウンのため現在に至るまで書籍が到着していないなど、流通の滞りにより、調査文献の数が少なくなった。ただし、その分手元の文献をより詳細に調査することで、また新たな発見にたどり着くこともできた。ただし、書籍代として準備していた予算が消化しきれなかった。 さらに、発売が予定されていた清代文献のデータベースの制作に遅れがでており、不備な状態で研究を行うこととなった。これについては、できるだけ文献を手作業で調べることで補ったが、調査量は少なくならざるを得なかった。ただし、文献を通しで読むことに時間を割いたため、細かい事実を多く拾いあげることができたことは新たな収穫であった。それを用いて、研究の新たな展開に繋げることができた。また、一部はデータベースにより基礎調査を行うことができた。それにより、見られた資料に限界はあったものの、研究方針を変えることなく研究を進めることができたため、研究の遅れは大きくはないと考えている。
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Strategy for Future Research Activity |
現在、杭州出身で他地域に流寓していた詩人の代表として、厲鶚・陳章・陳皐・姚世鈺を中心に調査を進めている。厲鶚に関しては、揚州の塩商宅に寄寓し、詩会の中心ともなった人物である。かれについては、浙派の中心とされていること、後に袁枚がその詩が揚州塩商の文献を利用していることを批判していることなどから、その活動を知る必要があると考えたからである。厲鶚については、文献の多くをすでに揃えているが、周辺資料については、まだ不足している。そこで再開された国内大学図書館での調査を行う予定である。 陳章・陳皐兄弟については、揚州塩商が争って彼らを詩会に求めたという記述があり、彼らの詩が実際に地方志に多く収録されている。しかし、彼らがどのような活動を行ったかという記録は非常に少ない。厲鶚が各種文献の調査編纂を揚州で行ったのに対し、陳章陳皐兄弟は、ほぼ詩人としての役割に終始している。彼らを求めた理由がどこにあるのかを、地方志を中心に調査を進める予定である。陳章については、厲鶚が編纂者として名を残したような成果がなく、その活動の詳細を知ることが難しい。中国への渡航が再開されれば、揚州での調査を予定している。 姚世鈺は陳章らとともに馬曰琯のもとに寄寓していたが、非常に高い評価を得て、揚州府志にも伝が残る。陳章が詩以外の記録を揚州府志に残さないのに比し、姚世鈺が記録に残された理由は何なのかを文献踏査からできる限り明らかにし、それによって、杭州詩人が杭州以外の地で求められた役割について考察することとする。更にそれが彼ら杭州詩人の詩風に関わりがあったのかを、浙派といわれる一派の特徴と絡めて考察する。 その成果は学会で発表し、論文としてまとめる予定である。
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Causes of Carryover |
中国での調査を行う予定であった旅費が、新型コロナの影響で渡航不能だったため、出張ができず使用できなかった。また国内調査についても、各大学図書館が外部の利用を制限したこと、県をまたいでの行動制限などにより、移動ができなかったことから、国内出張も行うことができなかった。更に複写なども、現物を見ることができなかったため行うことができなかった。 学会発表も、学会が中止に追い込まれたり、あるいはオンライン開催となったため、出張費を使用することがなかった。 また関連書籍の購入を考えていたが、注文した書籍が海外から届かない、あるいは出版が滞っているため、現在に至るまで購入ができていない。更にデータベースについても、中国での作成がストップしており、購入するに至らなかった。こうした外部要因により、次年度使用額が生じた。 次年度にあっては、行動制限が緩和されたことから、まず国内の調査を開始し、前年度の残額をそこに使うこととする。 また、国外については海外に渡航できれば調査に赴き、できない場合は国外の大学、研究所、図書館の運営状況を見た上で、複写などの依頼をし、調査を進めてゆく予定である。
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Research Products
(1 results)