2021 Fiscal Year Research-status Report
The Victorian Zeitgeist and Threats in the Works of Dickens: A Social-Psychological Study
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21K00386
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Research Institution | Nagoya University |
Principal Investigator |
松岡 光治 名古屋大学, 人文学研究科, 教授 (70181708)
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Project Period (FY) |
2021-04-01 – 2024-03-31
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Keywords | 脅迫 / ディケンズ / ヴィクトリア朝 / 社会心理学 / 犯罪 / 時代精神 / 社会風潮 / 弁護士 |
Outline of Annual Research Achievements |
本研究の目的は、ヴィクトリア朝の抑圧的権力による「脅迫」の場面が数多く描かれているディケンズ (Charles Dickens, 1812-70) の作品を一次資料として用い、支配者側に立つ個人および集団の抑圧的権力――現実世界で理性と知性を標榜し、自らの幸福と利益を価値基準として強制する権力――の行使による脅迫について、ヴィクトリア朝の時代精神という文脈の中で個人や集団の思想・感情・行動がどのような影響を受けているか、社会心理学的な観点から明らかにすることにある。 令和3年度は、脅迫がプロットの展開において重要な役割を果たすディケンズの『荒涼館』(_Bleak House_, 1852-53) と『大いなる遺産』(_Great Expectations_, 1860-61) を取り上げ、ヴィクトリア朝大好況期 (Great Victorian Boom, 1850-73) において経済的合理性の観点から価値を計るだけで、社会的公正の要素を考慮することなく、依頼人たちから搾取して財を築いている弁護士たちに焦点を定め、産業革命によって大きく変化した時代情勢や社会動向の影響を受けた犯罪者と被害者の精神構造や思考態度を考察することで、脅迫の社会心理学的な要因を突き止めた。 そうした精神構造や思考態度として特記に値するのは優れた人種である白人による有色の劣等人種支配という観念形態である。これは例えば『大いなる遺産』で有色白人種であるユダヤの依頼人に対して生殺与奪の権を振りかざす弁護士ジャガーズの脅迫に読み取ることができるが、コーカソイドの白はすべての色の可視光線が乱反射した時に人間が知覚する色である点からも、有色白人種の劣等性を見下して威嚇するジャガーズは、自分自身の不快で苦痛を伴う内面の現実を相手に投影して処理していることが証明できた。
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Current Status of Research Progress |
Current Status of Research Progress
3: Progress in research has been slightly delayed.
Reason
ディケンズの作品において、当時のエトスが反映された抑圧的権威によって個人または集団が脅迫を行う際に、その動機がどのように描写されているかを考察することで、その犯罪心理の普遍性と特殊性を少なからず解明できた。普遍性に関しては、脅迫者は自分の正当性に対する自分自身の疑義を無意識に抑圧しており、そうした疑義を相手に投影して外的なものとして非難している点に見られる。近代資本主義社会における特殊性については、そうした強い者への同一視の結果、上から問われた過失や責任を可視的・不可視的な脅迫という形で下の弱い者へ転嫁していることが明らかになった。 ディケンズの場合、前期作品群における脅迫は、脅迫する権力側が最終的に皮肉や諷刺で笑い飛ばされ、時には殴り倒される点に特徴がある。一方、後期作品群の最大の特徴は、巨大で複雑になった社会の権力や権威から受ける脅迫に対して個人は無力であるというディケンズの認識の深化とともに、支配者に反撃していた前期の主人公たちが内省的・内攻的になっている点にある。後期の作品に関しては『荒涼館』と『大いなる遺産』それぞれの筋の展開において扇の要となる弁護士たちの分析で研究は進んでいる。一方、前期作品群の研究は進捗状況がやや遅れているので、『骨董屋』(_The Old Curiosity Shop_, 1840-41) で悪そのものを楽しんでいるクウィルプ (Daniel Quilp) と『デイビッド・コパフィールド』(_David Copperfield_, 1849-50) で主人公をライバル視する悪の分身ヒープ (Uriah Heep) の考察に特化し、それぞれの脅迫者の動機と犯罪心理をヴィクトリア朝の時代精神という文脈の中で明らかにしたい。
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Strategy for Future Research Activity |
物理的または精神的な暴力行為を仄めかす脅迫は否定的な属性を持つ多くの問題が絡む包括的なテーマの一つである。有史以前から、人間が支配者と被支配者の関係になると、そこには必ず脅迫を伴う暴力の行使が見られた。この問題は文明の発展とともに改善されてきたとはいえ、完全に解決されることは未来永劫にないだろう。新たなイデオロギーや科学技術の登場とともに、新たな脅迫行為を伴う暴力の問題が必ず生じるからである。 1840年代の通信革命を経てマスメディアが急速に発展した1850年代からディケンズが亡くなった直後の1873年までのヴィクトリア朝中期は、インターネットの発展とともにSNSが飛躍的に普及した結果、その恩恵と誹謗中傷や脅迫といった弊害とのジレンマに苦しむ現代の日本社会と酷似している。従って、現代のネット社会における必要悪としてのSNSが生み出している弊害を考察することによって、ディケンズの作品における様々な形の脅迫にヴィクトリア朝中期の時代精神が及ぼした影響の社会心理学的な解明を推進させたい。 金銭や財物を脅し取ることを目的とする恐喝と違って、自分にとって好都合なことをさせるために相手に恐怖を与える脅迫は矛盾や曖昧さを孕んでおり、昔も今も動機や犯罪心理の解明は困難である。インターネット時代におけるSNSの仮想空間で見られるような脅迫、すなわち金銭的な動機がなく、目的を問わず相手を脅したり威嚇したりするものの、相手が従属して自分の正当性や妥当性が証明され、優越性が担保されることで消失する場合が多く、それだけ犯罪心理が複雑で動機の解明も容易でない。今後は、このように動機や犯罪心理が複雑で類型化が容易でない脅迫の実態について、通信ネットワークにおける脅迫という現代と共通する社会問題を抱えていたヴィクトリ朝の文学作品を社会心理学的に分析することで解明する予定である。
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Causes of Carryover |
次年度使用額(360円)が生じないように前年度の最後に小さな文房具類を購入するのは好ましくないため。次年度使用額は大きな文房具類などの購入に充当する。
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