2023 Fiscal Year Annual Research Report
Project/Area Number |
21K00874
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Research Institution | University of the Ryukyus |
Principal Investigator |
武井 弘一 琉球大学, 国際地域創造学部, 教授 (60533198)
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Project Period (FY) |
2021-04-01 – 2024-03-31
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Keywords | 天明期 / 気候変動 / 凶作 / 砺波平野 / 宮永正運 |
Outline of Annual Research Achievements |
18世紀後半の天明期(1781~89)には、東北地方を中心に未曽有の飢饉に見舞われた。本研究の目的は、加賀藩を事例にしながら、天明期の気候変動を復元し、それが大凶作に与えた影響について検証することである。 先行研究によれば、飢饉の原因は人間と自然との関係、あるいは人間と人間との関係が生み出したひずみ、すなわち「人災」として論じられてきた。けれども、飢饉の前兆となる凶作=「天災」と評されてきたことから、飢饉=天災とみなせよう。飢饉研究を確たるものにするためには、凶作が天災なのかをしっかり検証しなければならない。そこで天明期に大凶作が発生した加賀藩の分析を進めた。フィールドとしたのは、越中国西部に広がる砺波平野である。ここで過ごした富農、宮永正運が著した農書『私家農業談』を足がかりにしながら、砺波平野が見舞われた凶作の実態をとらえた。その要点は、次のとおりである。 まず、凶作の主因は、天明3年7月10・11日に起こった水害であった。水害は、たしかに大雨が引き金となっていた。だが、河川の上流部では木々が伐り出されていたことから、山の地盤は緩み、石や砂が川に流れ落ちていた。そのため、川底が高くなり、ひとたび雨が降れば増水する危険性が高まっていたのである。このような状況下で大雨が降ったことが、水害を誘発させたといえる。けれども、山の開発や大雨が、水害の根本的な原因とは言いきれない。イネ(稲)の品種に注目してみると、主として晩稲が作付けされており、それが水害に遭った。ところが、仮に早稲が植えられていれば、水害を免れることができたのである。 以上をふまえると、大雨、ひいては気候変動が凶作の根本的な原因とはいえない。よって、天明期の凶作は、「天災」ではなく、きわめて「人災」と評価することができる。
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