2021 Fiscal Year Research-status Report
タイ族国家の中国・ビルマへの両属関係とそれに対する清朝の対応
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21K00905
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Research Institution | Nagoya University |
Principal Investigator |
加藤 久美子 名古屋大学, 人文学研究科, 教授 (80252203)
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Project Period (FY) |
2021-04-01 – 2026-03-31
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Keywords | タイ族 / 清 / コンバウン朝 / シプソンパンナー / ビルマ / 朝貢 / 車里宣慰使 / 両属 |
Outline of Annual Research Achievements |
『清実録』中の関連記事を検討した。明らかになった概要は、以下のようである。清は1749年に初めて、チェンセンがビルマのタウングー朝の支配下にあり、ムンヨンとチェンケンがチェンセンに所属していることを認識した。チェンセンは現在のタイ国北部にあり、ムンヨンとチェンケンは現在のシャン州東部にある。つまり、現在のタイ国北部とシャン州東部はビルマ王朝の影響下にあるということを清は知ったのである、しかし当時は、この地域のタイ族国家同士の争いごとが清の「内地」に及ばないように、「国境」付近の守りを固めるという対処がなされただけだった。1760年代半ばになると、タウングー朝の滅亡後にビルマで支配権を確立したコンバウン朝が、タウングー朝時代と同様に、シャン州東部から雲南南部にかけてのタイ族国家を朝貢国として服属させようとして、同地域に侵攻した。これに対して、雲南南部を「内地」と見なしていた清は軍を送って対抗した。シャン州東部と北タイのタイ族国家は、1766年には一時的に清に帰順するものの、結果的には1767年以降はコンバウン朝の影響下に入ることとなった。1768年になって清は、雲南南部、シャン州東部、北タイ地域のタイ族国家は、もともとビルマ王朝の影響下にあるのが常態であったことを明確に知るに至った。そこで清は、雲南南部のタイ族国家であるシプソンパンナー(車里)については、コンバウン朝との関係を取り結ぶのを黙認しつつも、清の土司(車里宣慰使)としてどのように扱うべきであるか模索することになった。
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Current Status of Research Progress |
Current Status of Research Progress
3: Progress in research has been slightly delayed.
Reason
平成3年度には、具体的事例を提示しつつ1776年までの清朝、コンバウン朝、シプソンパンナーの間の関係を分析する予定であったが、当初想定していた以上の関係史料があり、すべてを読み切ることができなかった。
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Strategy for Future Research Activity |
まずは、1776年までの清朝、コンバウン朝、シプソンパンナーの間の関係とその変化を、史料を読み込むことによって具体的に明らかにし、その成果を論文として公表することを目標としたい。
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Causes of Carryover |
当初は史料を購入する予定であったが、電子化されたものを無償で見られることがわかったため、それが主な理由で次年度使用額が生じている。残額は、史料読解補助のための非常勤研究員雇用や英語論文発表前のネイティブチェックに使用する予定である。
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