2022 Fiscal Year Research-status Report
紛争解決から見た中世初期イングランドの統治構造―ミッドランド西部の位置づけ―
Project/Area Number |
21K00925
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Research Institution | Ehime University |
Principal Investigator |
森 貴子 愛媛大学, 教育学部, 教授 (10346661)
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Project Period (FY) |
2021-04-01 – 2024-03-31
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Keywords | 中世初期イングランドの紛争解決 / 中世初期イングランド統合王国における地域 / アングロ・サクソン期イングランドの社会層 |
Outline of Annual Research Achievements |
本研究は、紛争解決事例の検討を通じて、特定の地域がイングランド統合王国に統合されていく力学を問うものである。22年度は、在地の秩序維持に重要な役割を果たしたにもかかわらず、通例は文書等の裁判関係史料に登場することのない、「独立経営農民」に着目し、彼らを考察の俎上に載せるための研究手法を探った。この過程で参考にすべきアプローチとして、ロサモンド・フェイスの業績が浮かび上がってきた。そのため、氏の史料解釈の特徴や研究手法を詳細に追跡することとした。 フェイスの考察の最大の特徴は、これまで荘園に所属する農民と理解されてきたドゥームズデイ・ブックのvillanusを、地名や地勢的特徴を手掛かりに、独立農場を営む農場主と定義しなおした点である。フェイスはこれをデヴォン州のCollatonという「マナー」を対象に明らかとしたが、ここからは、①通例「荘園」と訳されるドゥームズデイ・ブックの「マナー」には、荘園と自由人の農場という、異なる社会構造を持つ経営体が一括されていることが分かった。これは史料解釈における重要なパラダイムシフトを示すと同時に、②農場を経営しつつ公的義務を果たす農民が11世紀に多く存在した可能性を示唆する。自由農民である彼らは、同じような資産を保持するのみでなく、在地有力者であるセインと共に、州やハンドレッドの集会に参加し、地域社会の担い手となったのである。 史料上の制約もあり、従来の研究史では、地域社会の担い手として紛争解決の場で注目されてきたのは、在地有力者層であるセイン以上の社会層に限られてきた。しかしフェイスの手法を用いれば、把握することの難しい自由農民について、具体的な地理的分布や経済活動に接近でき、そこから地域社会における彼らの位置づけを検討できる可能性がある。この成果を本研究の対象地域であるミッドラン西部に適応してみることが、目下の課題である。
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Current Status of Research Progress |
Current Status of Research Progress
2: Research has progressed on the whole more than it was originally planned.
Reason
一昨年同様、22年度も新型コロナ・ウイルスの影響を受けて、ロンドン出張及びイブシャム巡検は見合わせることとした。他方で、日本で入手可能な文献は積極的に収集することができた。また、上記「研究実績の概要」で述べたように、アングロ・サクソン社会に存在した在地独立農民を検討対象とするための手がかりを得ることができたのは、大きな収穫であった。 さらに、22年度の活動全体を通じて、中世初期農村史研究への新たな観点からのアプローチの可能性を感じ、これが本研究テーマの今後の進展のきっかけになるのではないかと期待している。その際に鍵となる概念は、ロサモンド・フェイスが中世初期社会の分析に導入した「モラル・エコノミー」であり、これが当該期の人的結合関係や在地の秩序維持、および在地と王国をつなぐ結びつきの在り方をよりよく理解するのに資すると思われた。近年、特に我が国学界では中世イギリス農村史研究は低調だが、領主=農民関係を超えた社会の結びつきという新たな観点からであれば、議論の再活性化が実現できるのではないか。さらなる研究の深化、および日本学界の議論の盛り上がりを目指したい。
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Strategy for Future Research Activity |
ミッドランド西部を対象に、在地の秩序維持の在り方と、地域(在地有力者セインや独立農場の農民)と地域を超えた権力(王権・エアルドールマンなど)との結びつきに注目して、考察する。 ①ウスター司教座、イブシャム修道院、アビンドン修道院から伝来している紛争関連史料(文書、聖人伝、年代記)を検討し、個別の事例に関して可能な限りの情報を収集する。例えば、裁判集会への参加者(地理的・社会的出自)、裁判のプロセスと結果(神罰などが持っていた社会的意味も含む)、州集会や王の集会との関係、在地共同体の機能と、王権・聖職者・有力貴顕(エアルドールマン)の果たした役割などがあげられる。 ②ドゥームズデイ・ブックの記載に地名学の成果や地勢に関する知見を導入することで、デヴォン州で看取できたような独立農場主としてのvillanusの姿を確認できるか、考察する。そこから、彼らの隣人関係や共同体としての活動、「マナー」所有者との関係を推察する。また、①で明らかとなった裁判集会の立地と、villanusたちの農場との地理的関係を把握する。 ③史料論の視点を活かし、オリジナルで伝来している文書(British Library, Cotton Charters viii. 37など)についてはBritish Libraryで調査を行う。材質、形態、筆跡の分析から、中世初期の裁判における記録(文字)利用の仕方を明らかにする。 ④ミッドランド西部に位置する中世都市イブシャムを訪れ、そこに設立された修道院の立地や中世の都市プラン、司教座都市ウスターとの位置関係を確認する。この作業により、都市内部での修道院の位置づけや、修道院関連の裁判集会(とくに修道院と「rustics」との間での係争。この場合の「rustics」は「農民」ではなく「都市に住んでいない者」の意味と考えられる)をめぐる環境を推測する。
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Causes of Carryover |
新型コロナ感染症の状況を鑑み、ロンドンでの文献調査やイブシャムでの踏査など、イギリス滞在を伴う研究をあきらめざるを得なかった。また、国内での研究会・学会への参加も思うようにはできなかった。そのため、当初旅費として計上していた予算に対して、支出が少なかったために次年度使用額が生じたわけである。 他方、積極的に文献収集を進めた結果、本研究テーマを遂行するためには、さらに多くの書籍や資料集が必要であることが判明した。したがって繰越金は、現地調査や大英図書館でのオリジナル史料の史料論的考察のため、そして学会に参加することにより最新の研究成果を得るために、海外・国内旅費として用いるとともに、文献収集のための費用として活用する予定である。
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