2021 Fiscal Year Research-status Report
能楽オンライン稽古の(不)可能性に見る身体知の可能性
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21K19957
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Research Institution | Meisei University |
Principal Investigator |
鋳物 美佳 明星大学, 教育学部, 准教授 (50912052)
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Project Period (FY) |
2021-08-30 – 2023-03-31
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Keywords | 身体知 / 稽古 / 伝達 / 能 / 師弟 / ベンヤミン / 井筒俊彦 |
Outline of Annual Research Achievements |
本研究の目的は、オンライン稽古/対面稽古のちがいを出発点に、師から弟子へと伝えられる身体知とは何であり、またどのように伝えられるのかを、能楽を例にとって分析、考察することである。この目的に沿って、2021年度は、①対面で行われた仕舞稽古の動画を分析し、それをもとに②ベンヤミンの「アウラ」概念の再検討、③井筒俊彦の意識の多層的構造の再解釈に取り掛かった。 2021年度の研究成果は、A.論文一本、B.発表一回のかたちで発表した。 まず本研究に直結しているB.について述べる。2022年2月にヨーロッパ日本哲学会にて企画された「心・気・体」をテーマにしたパネルにおいて、上述の①から③の論点をまとめて英語で発表し、議論した。これまでの身体知研究は、すでにそれが身についた状態の分析として、あるいはそれを身につけつつある状態の一人称研究として展開されることが多かったが、本研究はその習得課程に絞り、さらにはその伝達に着目したため、身体知の単なる神秘化も機械的説明も避けながら、言語化できない感性的経験を身体において同定しつつ確実に議論を深めることができた。 A.の論文は、稽古する者における心身の変容およびそれを可能にする型稽古の分析を主題として扱っており、本研究の基礎にもかかわる。身体の「構え」に注目し、その意味(正しい立ち方として、また能力の現れとして)を明らかにし、それがどのように獲得されていくのかを稽古とインタビューの分析から論じた。その結果、環境から生成されてゆく人間存在の在り方を明らかにし、具体的身体を見据えながらその形而上学的意義を示すことができた。
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Current Status of Research Progress |
Current Status of Research Progress
2: Research has progressed on the whole more than it was originally planned.
Reason
本研究は、①対面稽古の録画の分析、②哲学的文脈における①の位置付け、③そのことが哲学の議論にもたらす意味の吟味、の三つの契機から成る。 初年度の研究においては、①をほぼ終えた状態まで進んだ。研究開始前は、師が扱う「こ」を関する指示詞の使用全般に関心を寄せていたが、分析を終えて、まず副詞(「こう」)の特殊な使用方法に興味を持った。他に頻出する「これ」や「ここ」と比べて、「こう」は他の言葉で置き換えることができない点からである。「こう」は、言語化できない何を伝えているのか。現在は、この問いを扱うために、②の段階で、井筒俊彦の意識の多層的構造と重ねて位置付ける作業を行なっているところである。また①に関しては、当初の予定では三人の弟子への稽古を分析する予定であったが、本研究は身体知がどのように伝えられるかを質的に分析することにあるため、一例に集中することにした。 ②については、まずベンヤミンの「アウラ」概念の再検討を行なった。その結果、複製されたものと複製可能なものとの差異に注目するようになり、ベンヤミンの関心は後者にあったのではないかと考えるに至った。現代のオンライン文化の考察にも応用できるだろう。 また、同じく②で行なった井筒俊彦の意識の多層的構造の検討は、言語化できない感性的経験を扱うにあたってひとつの重要な思考の枠組みを与えてくれた。「こう」の問いをこの枠内で捉え直すことで、③の段階で、井筒の構造を、井筒本人が行なったようにコトバの問題としてのみ捉えるのではなく、身体も絡めたコトバの問題として捉え直すことができるという展望を持つに至った。
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Strategy for Future Research Activity |
初年度の研究で、着手したものの形をなすに至っていない課題は以下の通りである。今後はこれらの課題について関連文献を読みながら考察し、また必要に応じて実践的場面と理論の往復を行いながら、研究をすすめていく予定である。 ①副詞「こう」の問題。初年度におこなった稽古の分析の結果、副詞「こう」のあり方の特殊性が浮かびあがった。一見すると、「こう」は、指示対象を他の言葉で置き換えることができない点で、「これ」や「ここ」とは異なる。とはいえ、アリストテレスのトデチなどの議論に見られるように「これ」や「ここ」も、言葉(述語)には回収されない特殊性をもっているはずである。この点も踏まえたうえでなお、「こう」にはどのように動くかという身体知伝達の肝にかかわるものであるので、あらためて「こう」の特殊性について考察する必要がある。 ② 井筒俊彦の意識の多層的構造の検討。井筒は、コトバと意識をその密接な関係において考察した。井筒によれば、深層意識のさまざまなイマージュを言語化することは、表象意識にそれを生ぜしめ、意味(本質)を与え、また無分節の世界を分節化していくことである、とされる。意味生成において身体の持つ役割は大きいと考えられるが、しかしながら井筒は、この多層的構造において身体が担う役割について論じることはなかった。稽古の言語・身体経験の分析は、井筒と根本的に同じ問題意識を共有していながら、さらに井筒の捉え直しを可能にするように思われる。井筒の意識の多層的構造における身体の役割(の一部)を解明することが、今後の研究をすすめていく上で極めて重要なステップになるはずである。 ①②を主な課題とし、伝えられる身体知の「いかに」と切り離せない「何」に踏み込んで考察する予定である。
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Causes of Carryover |
2022年2月にハンガリーで開催されたヨーロッパ日本哲学会の国際学会にて発表するために渡航予定であったが、新型コロナウイルス感染拡大措置を取らざるを得ず、渡航できなかったため。翌年度の国際学会参加費に充てる予定である。
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