2022 Fiscal Year Research-status Report
Research on the political space of Heian-kyo and its suburb as axis the palaces of the abdicated Emperor GoToba
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21K20042
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Research Institution | Osaka University |
Principal Investigator |
豊田 裕章 大阪大学, 大学院人文学研究科(人文学専攻、芸術学専攻、日本学専攻), 招へい研究員 (00880262)
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Project Period (FY) |
2021-08-30 – 2024-03-31
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Keywords | 後鳥羽上皇 / 平安京 / 水無瀬殿(水無瀬離宮) / 大倉御所 / 笠懸などの騎射と馬場 / 雅成親王 / 侍所と長舎状建築 / 長廊 |
Outline of Annual Research Achievements |
後鳥羽上皇の笠懸等の武芸について、それが行われた空間的な問題を、上賀茂社や水無瀬離宮の馬場を中心に、政治的な問題も含めて、文献ならびに現地調査を行い考察した。また、上賀茂社で後鳥羽上皇が参籠時に宿所とした長廊という建築に関してもさらに調査を進めた。鎌倉における源氏将軍の大倉御所が複数のブロックから構成されていたのではないかということや、大倉御所を中心とする鎌倉の都市構造、上賀茂社の長廊と同様に長舎状建物であったと考える侍所の建築構造に関しても、文献調査ならびに現地調査、考古学的な面からの考察をさらに行い、水無瀬離宮と鎌倉の大倉御所の空間構造や水無瀬と鎌倉の都市構造に関する比較的考察を進めた。 後鳥羽上皇の崩御後、御影堂領となる地域は、承久の兵乱以前から、後鳥羽上皇の政治的・経済的な基盤としての地域であった可能性が考えられる。滋賀県内、和歌山県内の御影堂領であった地域で現地調査を行った。後鳥羽上皇皇子の雅成親王の但馬での承久の兵乱以後の配流先の問題などについてさらに現地調査を進めた。 後鳥羽上皇の水無瀬殿(水無瀬離宮)が存在した大阪府島本町で、既に公開されている発掘調査報告書をもとに、京都市考古資料館の元館長である長宗繁一氏のご協力を得て、調査平面図を集成してKML形式のデータを作成するとともに、それにともなう集成図を作成した。また、島本町内の桜井地域には、後鳥羽院政期やその前後の時期に園城寺系の法親王などが管掌した桜井寺(桜井宮とも呼ばれる)という寺院が存在したと考えるので、この地域に現存する石造物について、石造物の研究者である山川均氏ならびに文化財の調査コンサルタント会社である(有)ワークに依頼して3D測量などの調査を行なった。 以上のような研究活動とともに、後鳥羽院政期の平安京と近郊の都市構造に関する文献調査も継続して行った。
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Current Status of Research Progress |
Current Status of Research Progress
2: Research has progressed on the whole more than it was originally planned.
Reason
理由 本研究において重要な目的の一つであった後鳥羽上皇の水無瀬殿(水無瀬離宮)が存在した大阪府島本町内のこれまでの考古学的な調査成果を、地理情報システム等を活用して可視化した地図を作成することに関して、既に公開されている発掘調査報告書をもとに、京都市考古資料館の元館長である長宗繁一氏のご協力を得て、調査平面図を集成してKML形式のデータを作成するとともに、それにともなう集成図を作成できたことは大きな成果であると考えられる。また、島本町内の桜井地域には、後鳥羽院政期やその前後の時期に園城寺系の法親王などが管掌した桜井寺(桜井宮とも呼ばれる)という寺院が存在したと考えるので、この地域に現存する石造物について、石造物の研究者である山川均氏ならびに文化財の調査コンサルタント会社である(有)ワークに依頼して3D測量などの調査を行い、鎌倉時代の京都の石造物の文化圏に属する優品の石造物であることを確認できたことも大きな意義を有することではないかと考えられる。また鎌倉時代の考古学の研究者である馬渕和雄氏を島本町にお招きして、水無瀬離宮関連施設と考えられる遺構解釈に関する意見をうかがうこともできた。 令和4年度に、私の「日本中世初期の都市構造と気脈や地勢を重視する風水思想との関わり ―平清盛の福原・源氏将軍の大倉御所・後鳥羽院の水無瀬離宮―」という論文をお載せいただく予定であった吉村美香編『巫・占の異相ー東アジアにおける巫・占術の多角的研究』志学社の刊行が令和5年度となったことにより、さらに鎌倉の大倉御所や鎌倉の都市構造、長舎状建物であったと考える侍所の建築構造に関して文献調査ならびに現地調査を進め、また考古学的な側面からも、水無瀬離宮と鎌倉との比較をより進めることができた(さらに検討を深めた内容は、令和5年度に刊行されることとなった同論集の拙稿に反映される予定である)。
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Strategy for Future Research Activity |
今年度は次のような推進方策を考えている。 後鳥羽院政期の平安京と近郊の政治空間に関する地図の作成、研究成果を社会に還元するため、長宗繁一氏に作成していただいた電子地理情報システムによる大阪府島本町内の発掘調査データの集成図などの成果や、水無瀬離宮を中心とする水無瀬地域のイラストマップなどをホームページを開設して公開したい。また講演会の開催も考えている。
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Causes of Carryover |
さらに視点を広げて、承久の兵乱以後も視野に入れた考察(それは後鳥羽院政をより深く理解するために必要な作業である)にも取り組んだため、ホームページ開設や講演会の開催などを次年度にしたためである。令和5年度にはホームページ開設や講演会の開催などを使用計画として考えている。
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