2012 Fiscal Year Annual Research Report
体操教師矢島鐘二に関する研究 我が国の学校体育模索期における活動と果たした役割
Project/Area Number |
22500567
|
Research Institution | Gunma University |
Principal Investigator |
福地 豊樹 群馬大学, 教育学部, 教授 (40134267)
|
Project Period (FY) |
2010-04-01 – 2013-03-31
|
Keywords | 矢島鐘二 / 学校体育 / 青年学校 / 昭和戦前期 / 体操科 |
Research Abstract |
最終年度の研究課題は、矢島鐘二の最晩年期の活動を明らかにし、群馬県離県後の活動を総括することであり、必要な資料調査と集められた資料の分析・検討・考察を深める作業を行った。成果は以下のようにまとめれられる。 1.前年度不十分であった九州若松市の学務課長としての勤務の状況をさらに調査した結果、教育行政全般に関わる活動を確認することができた。様々な教員研修会の開催、学校を越えた地域の諸行事への関わり等、活動の一端が明らかになった。特出される事項としては、北九州地区体育指導者協会との関係を意識的に避けたことが推測できたことである。大正期の矢島の先駆的な活動は全国に周知されており、特に九州地区の体育活動と対比された経緯があった。その組織と積極的な関わりを避けたことは、自らの職責のプライドが示した行為と推測された。3年の勤務で慌ただしく職を辞す矢島の理由はそこにあったと指摘することができる。 2.昭和14年、矢島は東京光学青年学校校長としてむかえられた。青年学校制度は昭和14年より義務化され、大都市圏の企業はこぞって私立青年学校を発足させた。企業に対し、生産力増強が国家的規模で要請されており、若手労働力(=青年学校生徒)確保に、この制度は積極的に利用されていった。昭和戦前期、軍事的な色彩が強まる中、教育も管理的な方向に強められていったが、矢島は、青年学校に敷設された寮の寮夫として、熱心に少年達の指導にあたった。体操家として実績を活用しながら独自な「光学体操」を考案し、生徒の健康や活動を支援した経緯を確認することができた。この時の生徒(東京光学退職者)への聞き取り調査から、矢島の人柄や行動、生徒の体育・教育活動等を確認することができた。戦時体制下、時局の制約を受けながらも矢島鐘二の果たした教育者としての役割は大きく、それは体操科という教科の枠を越えたものであったと言える。
|
Current Status of Research Progress |
Reason
24年度が最終年度であるため、記入しない。
|
Strategy for Future Research Activity |
24年度が最終年度であるため、記入しない。
|
Research Products
(3 results)