2012 Fiscal Year Annual Research Report
Project/Area Number |
22500962
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Research Institution | Osaka Kyoiku University |
Principal Investigator |
城地 茂 大阪教育大学, 学内共同利用施設等, 教授 (00571283)
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Project Period (FY) |
2010-04-01 – 2013-03-31
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Keywords | 科学技術史 / 東アジア / 国際交流 / 数学史 |
Research Abstract |
南北中国文明を受容した日本では、北中国の天文学に通じる算木数学と南中国の商業数学に通じる珠算数学を異なった階層で受容していたことが、数学書を通じて実証できた。 江戸時代中期以降、地方(じかた)で納税や土木事業を差配するには数学の知識が必要であり、豪農層や苗字帯刀を許され郷士層となった人々が数学の担い手であった。彼らは、南中国の珠算数学を用い、迅速な四則演算を行って実務を処理していた。 一方、西洋数学が天文学とともに伝来すると、西洋のネイピアの骨のような計算器具を用いるようになったが、その名称は「籌」であり、算木の古称であった。受容したのが医学者や兵学者といった城下士層であり、商業に用いる珠算を遠ざけたためであった。しかし、皮肉なことに、ネイピアの骨を最初に日本へ伝えた(1720年に長崎へ舶来)のは、数学書というより術数書とも言うべき『三才発秘』(Chen Wen, 1697年)であり、南中国文明の書籍であった。そのため、南中国数学で近年まで使われていた蘇州碼という数字を一部に使うことになった。そこで、この南中国の数字が「阿蘭陀符帳」となって、医学者や兵学者に伝わっていった。後には、「薬屋符帳」とも呼ばれるようになったことからも、こうした階層に広まっていたことが、19世紀の数学書からも実証できた。 なお、南西諸島の調査では、明治初期の梁上二珠・梁下五珠の中国式算盤が確認できたが、これは、中国や琉球王国より伝来したものではなく、明治維新後に土佐を中心とする経済圏からもたらされたものであった。 調査をした文献や計算器具、算額や算題墓石などは、経年により痛みが激しく早急な保管が必要なものが多かった。これらの史料の保存も今後の課題になってくるだろう。
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Current Status of Research Progress |
Reason
24年度が最終年度であるため、記入しない。
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Strategy for Future Research Activity |
24年度が最終年度であるため、記入しない。
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