2012 Fiscal Year Annual Research Report
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22520098
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Research Institution | Nagoya University |
Principal Investigator |
伊藤 大輔 名古屋大学, 文学研究科, 教授 (00282541)
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Project Period (FY) |
2010-04-01 – 2015-03-31
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Keywords | 美術史 / 似絵 / 肖像画 |
Research Abstract |
本年度は、主として鎌倉・南北朝時代に宮廷において流行した似絵について調査をすすめ、またその問題点について考察を行った。 とりわけ似絵の起源を解き明かすのに重要な位置を占める「承安五節絵」(東北大学図書館蔵)の調査を行ったことが大きな成果である。「承安五節絵」は現在模本しか伝わっておらず、その模本の出来にも格差があるが、東北大学図書館本はその中でも良質な模本として知られている。この模本についてはすでに山本陽子氏により詳細な紹介が成されている。山本氏の問題設定は、「承安五節絵」が似絵であるかどうかと言う点に力点があり、東北大学図書館本は、個別の顔をかき分けが意識されている点で、「承安五節絵」が似絵であることを証明する直接の証拠とされている。 筆者が実見したところ、確かに個別の顔のかき分けが認められたが、技法的には似絵を特徴付ける細線重ね描きが見られず、顔つきも例えば鎌倉末期の古模本とされる「中殿御会図」のような鎌倉風の独特のくせが見あたらず、むしろ江戸期の癖というか色合いが濃く出ているように思われた。この点は、感覚的な問題になるけれども、良質な模本とされる東北大学図書館本といえども鎌倉風の癖が消えてしまった、近世の重模本と位置づけざるを得ないと考えられる。 「承安五節絵」は承安元年の五節か承安二年の五節か曖昧な描写である点も早く指摘されており、現状では写し崩れや構成の再編集の手が多く加わったものと見ざるを得ない。もちろん、上記二つの年度のどちらの五節にしても、承安三年に描かれた最勝光院御所障子絵に先立つ行事絵としての意義は持つ。「承安五節絵」が似絵であるかどうかという問題設定を超えて、行事絵が先行して描かれる中で似絵的なものが醸成されてくる過程において、この作品がどのような意義を持ちうるのかを考えることが必要であろうと考える。
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Current Status of Research Progress |
Current Status of Research Progress
2: Research has progressed on the whole more than it was originally planned.
Reason
本研究は、従来装飾性を中心に考察されてきた日本絵画史を、写実性という観点からとらえ返し、新たな日本美術史の論述を構築することを主たる目的としている。日本美術史における写実性の問題は、主に、以下の論点を中心に考察されてきている。 第一に、鎌倉時代における肖像表現の隆盛という問題に関してである。第二に、江戸時代中期における円山応挙の写実的絵画の登場という問題が持ち出される。これに関連して、応挙と評価を二分した伊藤若冲の存在も見過ごすことは出来ない。第三に、江戸初期から幕末まで幾度かの盛り上がりを見せる西洋絵画の技法摂取の問題が存在する。 筆者は、まず第二の論点に注目し、特に、応挙、若冲の二人の大規模な障壁画がある金刀比羅宮の障壁画について、これを実地に見学し、その特色について把握することに努めた。また第一の問題については、「明恵上人樹上坐禅像」と似絵を二つの柱として研究を進め、実際の画面観察に基づいて、各論を積み重ねた。「明恵上人樹上坐禅像」は、その写実表現が、現実を事事無礙法界ととらえる華厳の思想と深く関連していることを解き明かした。また似絵については、これが中国の文人肖像画を模したものであり、宮廷貴族が自らを文人的徳性のある存在として自己成型する装置として機能したことを論じた。これらの二つの主要な問題についての論文は、拙著『肖像画の時代ー中世形成期における絵画の思想的深層』(名古屋大学出版会、2011年)にまとめて上梓された。 また昨年度は、似絵論の補論として「承安五節絵」についての調査を行い、この作品が、行事絵としての性格を持ちながらも、かならずしも似絵と認定出来るか確証をもてないとの調査結果を獲得した。 以上のように、三つの大きな論点の内、二つについては論文や著書をまとめており、おおむね順調に研究は進展していると評価できる。
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Strategy for Future Research Activity |
すでに繰り返し述べているように、本研究では、三つの大きな論点が考えられる。一つは、鎌倉時代における肖像表現の隆盛であり、もう一つは、江戸中期における円山応挙や伊藤若冲による写生画の発生である。そして第三の論点が、江戸初期から幕末に至るあいだに断続的に現れる西洋絵画の影響の問題である。 今後の研究においては、この第三の論点に焦点を絞って各論を積み重ねてゆくこととしたい。特に、注目したいのは渡辺崋山による肖像画であり、「鷹見泉石像」(東京国立博物館)を中心に、彼の肖像画の特質について考察してゆきたい。 「鷹見泉石像」は顔貌部が精密な描写で描かれているが周縁部に行くにつれてぼやけた表現になってゆく。これは被写界深度の浅いレンズを通して見た視覚と一致しており、崋山が何らかの光学機器を用いて描いた可能性が考えられる。この点について、実作品の調査を行って表現の実情を把握するとともに、文献史料を博捜して、制作過程の秘密を解き明かしてゆきたい。 しかし、崋山の肖像画の中でこうした特色を持つのは「鷹見泉石像」だけであり、この作品は特異な実験的作品と位置づけられる。いわば純粋な光学的映像として人間を再現した最初の作品であったのではないだろうか。これに比較して高橋由一の油絵は西洋絵画の技法を用いながらも、光学的映像としてよりは対象の物質性にこだわりを持って、実在の再生を目的として描かれており、より伝統的な表現態度に終始している。 その意味では「鷹見泉石像」は一頭地を抜けた近代的な性格を持った作品であり、前近代の写実表現の帰結点として位置づけられる。この作品論を一つの着地点として、日本の写実表現の歴史を総括する論述を組み立てることを目標としたい。
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Research Products
(1 results)