2012 Fiscal Year Annual Research Report
純粋音楽の思想 ―音楽美学者としてのヨーゼフ・マティーアス・ハウアー研究―
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22520121
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Research Institution | Iwate University |
Principal Investigator |
木村 直弘 岩手大学, 教育学部, 教授 (40221923)
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Project Period (FY) |
2010-04-01 – 2014-03-31
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Keywords | ハウアー / 絶対旋律 |
Research Abstract |
「絶対旋律」という術語は、20世紀の旋律について、特にアントーン・フォン・ヴェーベルンの点描主義的作品に当てはめて語られることが多い。しかし、この「絶対旋律」という概念は、「絶対音楽」という概念と異なり、これまで系譜として概念史的に考察されることはなかった。そこで、今年度の研究では、その淵源(提唱者)としてのドイツ人作曲家リヒャルト・ヴァーグナーの言説、シェーンベルクに先駆けて独自の12音技法を発展させたことでも知られる、「絶対旋律」という語は用いなかったものの、それにきわめて近い旋律論を自らの音楽思想の核に据えたヴィーンの作曲家ヨーゼフ・マティーアス・ハウアーの言説、そしてハウアーの同時代人でヴァーグナー研究にこの概念を強調した音楽学者エルンスト・クルトの言説を取りあげ、その比較を行った。 結果として、ヴァーグナーでは、きわめて現実的な対象イメージを包含していた「絶対旋律」は、19世紀後半における芸術の純粋化=抽象化の流れにのって、ロッシーニのオペラ旋律や古典派の器楽といったその具体的対象から(まさに「絶対的」の語源の意味に即して)「切り離され」、20世紀に入って、ハウアーやクルトの音楽理論の中で、「理念」として自立したことが明らかとなった。つまり、ヴァーグナーの楽劇では、「絶対旋律」は古代ギリシャのコロス的役割を与えられ、対象からの乖離を免れるが、ハウアーの場合、それは敢えて現実の作曲とは明確な連関を確認できない、いわばイデアとして独立させられている。それは一般的な「旋律」概念で捉えられるものではなく、最終的には、(ゲーテのモルフォロギー的な意味での)根本現象としての「音程」へと還元された。ハウアーにとって、音程の本質とは動きであり、音程は身ぶりである。運動とは身ぶりであり、運動の身ぶりは精神的なるものに存しているため、音程は精神的運動であったからである。
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Current Status of Research Progress |
Current Status of Research Progress
3: Progress in research has been slightly delayed.
Reason
平成23年度の研究開始直前の3月(平成22年度末)に東日本大震災があり、被災県の大学教員として予想外の仕事が増えたため、研究計画にも変更が生じ、その影響があった。これまで予定された研究内容のうち、まだ研究成果を公表できていないものに、同時代オーストリアの文化史家リヒャルト・フォン・クラーリク(Richard Ritter Kralik von Meyrswalden, 1852-1934)の古代ギリシャ音楽観が「ノモス」「メロス」といった古代ギリシャ由来の用語を用いたハウアーの音楽思想にどのように影響しているかというテーマがある。昨年度末、それについての論文を、全国学会である日本音楽学会の学会誌へ投稿するべく準備していたところ、新年度から当該誌の編集委員長に就任することになってしまい、査読等の問題に鑑み、投稿が棚上げとなっているという事情がある。早急に、別の全国学会誌投稿に向けて改めて推敲を行なっているところである。
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Strategy for Future Research Activity |
最終年度の平成25年度は、芸術諸分野や思想分野とハウアーの「純粋音楽」思想との関連と、後世への影響について調査する。 文学に関しては、ハウアーをモデルとした登場人物が配された、フランツ・ヴェルフェルの『鏡人』や『ヴェルディ』、オットー・シュテッスルの『太陽の旋律』 といった1920年代の作品を取りあげ、当時のヴィーン芸術界におけるハウアー観を明らかにし、実際のハウアー像との比較を行う。 次に、「12音遊戯」に収斂してゆくハウアーの音楽思想の美学的前提を形成している、ルードルフ・シュタイナーの人智学的美学思想からの影響関係を浮き彫りにする。シュタイナーの死(1925年)後、さらに人智学が発展期にあった1930年代には、ハウアーの音楽が「オイリュトミー」的であるという理由でハウアーを人智学協会で採用しようという動きもあったが、ハウアーが、自分の音楽が「実用」に供されることを拒否したという事実がある。このあたりの事情については先行研究でも詳しく取り扱われていないため、調査が必要である。 さらに、以上の研究成果をふまえ、「旋律における絶対的客観性」をもつ、いわば主観的意図の表現要素を排した「純粋音楽」を志向するハウアーの作曲理論およびその前提となる美学思想と、音楽史 におけるミニマル音楽や美術史における抽象表現主義といった後世へ前衛芸術との類縁性について、音楽理論だけでなく実際の作曲作品の分析結果を参照しつつ、音楽美学思想史の文脈上に定位させる。 また、さらに敷延して、音楽におけるフェミニズム的視点からもハウアーの作曲美学におけるモダニスズム的様相を検証することによって、彼の志向した「純粋音楽」が、Energetik に括られる音楽美学者たちが奉じたベートーヴェンの器楽に代表される「絶対音楽」という極めて男性中心主義的音楽理念と、どのように関連するのかについても検証する。
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