2012 Fiscal Year Annual Research Report
西洋文化圏における「凝視」と「注意」の文化史的意義の研究
Project/Area Number |
22520231
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Research Institution | The University of Tokyo |
Principal Investigator |
阿部 公彦 東京大学, 人文社会系研究科, 准教授 (30242077)
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Project Period (FY) |
2010-04-01 – 2015-03-31
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Keywords | 凝視 / 文学 / 丁寧 / イギリス / アメリカ / 批評 / 共視 |
Research Abstract |
平成24年度の最大の実績としてあげられるのは、今回のプロジェクトの中間まとめとして著書の形にして一般への研究成果公開を行ったことである(『文学を〈凝視する〉』〈岩波書店〉)。この本は「文學界」に一五回にわたって連載した「凝視の作法」というシリーズを元にしたものであるが、単行本化にあたって大幅な加筆修正をほどこしたこともあり、24年度の前半はこの作業に多くの時間と労力を割くことになった。 また、当該書の出版と前後する形で「凝視」をめぐる講演を行ったり、関連する会議に参加したりしながら、関心を共有する研究者たちと意見交換することができたのは大きな成果である。中国での日中友好文学者会議では、作家や詩人と意見交換し、今回のプロジェクトのさらなる展開のための重要な示唆を得ることが出来た。とりわけ『雲をつかむ話』の著書である多和田葉子から得た知見は非常に意味深いものであったので、『雲をつかむ話』の書評を通してその意義を公にしてある(「紀伊國屋書店書評空間」参照)。九州・福岡における講演では、映画作品「BUNGO」を素材に視線の動きのニュアンスについて検討し、より広い関心領域にむけて話題を広げるこころみをおこなった。 「Web英語青年」(研究社)で連載した「善意と文学」のシリーズでは、主に「共視」という視点から「凝視」の問題を扱っている。今年度についてはD・H・ロレンス、ルイス・キャロル、フランク・オコナー、ウィリアム・トレヴァーといった作家の作品をとりあげつつ、一方の視線が他方の視線を誘導することによって、善意や作法の中にどのような違いが生ずるかについて研究をすすめた。この連載については来年度以降に著書の形にまとめる計画である。
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Current Status of Research Progress |
Current Status of Research Progress
2: Research has progressed on the whole more than it was originally planned.
Reason
24年度に中間まとめとしての著書の刊行を行うことができたのは、まずまずの達成と考えている。とりわけ、凝視の問題を、共視や丁寧といった関連領域と接続させつつ、具体的な作家・作品と結びつけて分析することができたのは、今後の研究の展開のためにも大きな一歩だったと考える。 とくに著書『文学を〈凝視する〉』の中での成果としては視覚芸術や文学作品から出発しつつ、啓蒙、教育、選挙制度、政治といった問題にまで視野をひろげることができた。夏目漱石の読解をとおしてフラクタル理論に言及し、社会における文学の効用について考察することができたのは、今回のプロジェクトの中でもひとつの鍵になると思っている。また太宰治作品における「気が散る」という現象について考察をすすめ、現代的な凝視のひとつの変形へと考えをすすめたのも大きな成果のひとつである。 「Web英語青年」での連載も順調につづけられたので、こうした成果公表をもとに、関心を共有する研究者と意見交換を行うなどして、次年度以降の研究につなげられればと考えている。
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Strategy for Future Research Activity |
本研究課題の次の大きなステップとしては構想しているのは、「Web英語青年」に連載した「善意と文学」というシリーズを、より明確な成果公表となるように単著の形で公開することである。当然ながら、単行本化にあたっては全体の加筆修正や、関連する領域の研究者との意見交換も必要となってくるので、25年度から26年度にかけてはそのあたりのプロセスに大きな力を注ぐことになる。 より具体的には、「凝視」と結びつきの深い「共視」という行為/現象を、これまですでに研究の進んできた「共感」のテーマと接続させつつ、語り手の善意がどのような形で物語行為の形に影響を及ぼすのか、その可能性をさぐる予定である。ポイントになるのは、1)善意が必ずしもあからさまな善意の形をとるとは限らないこと、2)ときには善意が悪意の形をとることがあること、3)善意の形をとっているものが逆に悪意の現れであることもあること、などである。 こうした善意と悪意の複雑な絡み合いについては、従来、文学作品の中ではアイロニーという一言で片づけられる傾向があったが、実際にはそこにはより複雑な問題系がからんでおり、文学という狭い領域をこえた言葉や思想の問題ともからんでくることが確認できる。今後の目標としては、なるべく大きく問題をひろげつつも、確実に「凝視」という出発点には戻ってこられるような方策を考える必要がある。
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