2012 Fiscal Year Annual Research Report
新しい『ファウスト』研究における多面的な解釈の総合の試み
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22520291
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Research Institution | Hirosaki University |
Principal Investigator |
田中 岩男 弘前大学, 人文学部, 教授 (70091618)
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Project Period (FY) |
2010-04-01 – 2013-03-31
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Keywords | 近代 / 歴史 / 自然 / 救い |
Research Abstract |
従来、作品内在的に研究されてきた『ファウスト第二部』第3幕「ヘレナ悲劇」を 成立時のゲーテの関心事であった社会現象、例えば「ファンタスマゴリア」「飛行船」「ギリシア独立戦争」といった問題の地平において読み直すことによって、たんなる「美」の悲劇にとどまらない、多面的・総合的な視点を獲得することが可能となった。 同じことは、最後の悲劇である「支配者の悲劇」「行為の悲劇」についても明らかにすることができた。第4幕冒頭の「高山」の場ではメフィストの「悪魔の自然観」が披露されるが、この「力ずく」による火成論的自然観こそ、第4幕、第5幕をつうじてのファウストの行動を、そしてその結果としての悲劇を基礎づけているものである。そこではファウストは、力によって自然を征服し、自然の主になろうとして挫折する。具体的には、第4幕で「魔術」の力を借りて皇帝軍を勝利へと導き、その戦功によって手に入れた海岸一帯の土地を、技術の限りを尽くした干拓事業によって海から奪い取ろうとする。技術による自然支配であり、支配者ファウストはあきらかにプロメテウスの末裔として現れる。ここには、晩年ゲーテのドイツにも押し寄せていた産業革命の波 ― 近代化、技術革新、それに付随するさまざまの問題を読み取ることができる。 しかし、自然を支配できると思いあがるファウストも、自らが「自然」の一部であるという事実から逃れることはできない。彼もまた老い、死を前にしている。歴史的な悲劇は人間の存在論的な悲劇と密接に結びついている。おなじ理由からファウストの「救い」についても多面的・総合的に考えることが求められる。『ファウスト』を晩年の祝祭劇『パンドラ』と比較考察し、ファウストをプロメテウスにして同時にエピメテウスでもある存在として捉えることによって、『ファウスト』終局の「救い」にゲーテが込めようとした意味の一端が明らかになる。
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Current Status of Research Progress |
Reason
24年度が最終年度であるため、記入しない。
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Strategy for Future Research Activity |
24年度が最終年度であるため、記入しない。
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Research Products
(1 results)