2011 Fiscal Year Annual Research Report
Project/Area Number |
22520677
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Research Institution | Ehime University |
Principal Investigator |
寺内 浩 愛媛大学, 法文学部, 教授 (40202189)
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Keywords | 俘囚 / 地方軍制 / 海賊 / 木簡 |
Research Abstract |
論文「古代伊予国の俘囚と温泉郡箟原郷」は、『日本後紀』弘仁4年2月甲辰条にみえる俘囚への賜姓記事をとりあげ、伊予国に移配された俘囚に賜与された姓がなぜ野原(のはら)なのかを、古代出土木簡を手がかりに考えたものである。 俘囚の移配が本格化するのは宝亀5年から始まる蝦夷とのいわゆる38年戦争以降であり、とりわけ延暦13年に蝦夷の本拠地である胆沢地域が制圧されてからは多数の俘囚が各地に移された。四国では伊予国の他に讃岐・土佐国に俘囚が移配された。 渡来人の改賜姓の例からすれば、移配後の俘囚に与えられた姓は地名に由来していたと考えられる。ただ、野原は『和名類聚抄』国郡部の郡郷名にはみえない。しかし、飛鳥池木簡には「湯評笑原五十戸」、西隆寺木簡には「伊與國湯泉都箟原郷」との記載がみえ、これらから伊予国温泉郡に笶原・箟原(のはら)郷が存在していたことがわかる。故に俘囚に賜与された野原はこの地名によっていたと思われる。また、これまで伊予国に俘囚が移配されたことは知られていたが、その具体的な場所は不明であった。しかし、以上の考察から少なくとも温泉郡には移配された俘囚がいたことがわかる。 10世紀後半の伊予国海賊の首領に能原(のはら)兼信という人物がいた。この能原兼信は野原に改姓した俘囚の末裔であろう。諸国に移配された俘囚は軍事・警察力として用いられ、9世紀後半に瀬戸内海で海賊が横行した時には取り締まりのために彼らが動員されている。しかし、その一方で移配された俘囚がしばしば騒乱を起こすこともあった。海賊の首領能原兼信はその一つの事例であろう。
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Current Status of Research Progress |
Current Status of Research Progress
2: Research has progressed on the whole more than it was originally planned.
Reason
平安前期の地方軍制においては諸国に移配された俘囚が重要な位置を占めている。前記の論文は、伊予国のどこに俘囚が移配されたのか、その後俘囚がどのような動きをみせたかを明らかにしたものであり、平安前期地方軍制の一端を解明したものと評価できる。
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Strategy for Future Research Activity |
地方で騒乱・反乱等が生じた際、地方レベルで問題解決できない場合、中央から追捕使・追討使などが派遣された。9世紀末新羅海賊来襲時の討賊使清原令望、承平年間に海賊討伐のため派遣された藤原純友、平忠常の乱時の追討使源頼信などがそれである。彼らの身分・出身氏族などは、時代や騒乱内容によりさまざまである。今後はこうした中央派遣の追捕使・追討使などを分析することにより、平安時代前中期の地方軍制の特質を解明したい。
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