2012 Fiscal Year Annual Research Report
Project/Area Number |
22520677
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Research Institution | Ehime University |
Principal Investigator |
寺内 浩 愛媛大学, 法文学部, 教授 (40202189)
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Project Period (FY) |
2010-04-01 – 2013-03-31
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Keywords | 天慶の乱 / 承平天慶の乱 / 平将門 / 藤原純友 / 海賊 |
Research Abstract |
論文「天慶の乱と承平天慶の乱(一)」は、平将門・藤原純友の乱の呼称が古代-近世にどのように変化したかを考えたものである。古代中世の日記や古文書では、13世紀前半までは将門・純友の乱が天慶年間に起きたとし、乱の呼称も「天慶賊乱」「天慶乱」とするが、13世紀後半以降は将門の乱は承平年間に起きたとするようになる。一方、古代中世の歴史書・説話集などでは、純友の乱は天慶年間とするが、将門の乱は13世紀後半以降承平年間とするものが多くなる。近世の歴史書は将門の乱、純友の乱ともに天慶年間とする。このうち『大日本史』は、純友が承平6年に海賊追捕の宣旨を蒙ったと『本朝世紀』にあることから、承平年間の純友は紀淑人とともに海賊追捕にあたっていたとしており、注目される。 次に、論文「平安中期の海賊史料」は、平安時代中期の海賊が瀬戸内海中央部以外の地域にもいたことを明らかにしたものである。『小右記』寛和元年3・4月の各条には、右衛門尉源忠良らが海賊を捕らえたことが見えているが、関係史料を分析すると、それらの海賊は京周辺あるいは摂津国の海賊であることがわかる。そうした地域に海賊がいたことは、『平安遺文』2-370の「僧慶勢解」からもわかる。また、阿波国にも海賊がいたことは、『日本紀略』正暦3年11月30日条や『土佐日記』などからわかり、それらの海賊は小集団の連合体であった。このように、平安時代中期には海賊が瀬戸内海東端部にもいた。瀬戸内海は地形や潮流が場所によって大きく異なるため、地域ごとに集団が形成されていたのである。
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Current Status of Research Progress |
Reason
24年度が最終年度であるため、記入しない。
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Strategy for Future Research Activity |
24年度が最終年度であるため、記入しない。
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