2014 Fiscal Year Annual Research Report
Project/Area Number |
22520692
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Research Institution | Keiwa College |
Principal Investigator |
藤野 豊 敬和学園大学, 人文学部, 教授 (70308568)
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Project Period (FY) |
2010-04-01 – 2015-03-31
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Keywords | 日本近現代史 / ハンセン病問題 |
Outline of Annual Research Achievements |
圓周寺所蔵の小笠原登関係文書の3度目の調査をおこない、新たな資料を発見するとともに、これまでの資料の再検討をおこない、以下のような結論に達した。 小笠原登は、皮膚科特研に患者を入院させることで、患者の治療より患者の撲滅を目指し、強制労働や強制断種・堕胎が日常化している国公立ハンセン病療養所への隔離から患者を守ろうとし、無癩県運動の渦中においてもそうした姿勢を貫いた。皮膚科特研という京都帝国大学附属医院皮膚科とは別棟の施設にハンセン病患者は院内隔離されていたが、そこでは強制労働や強制断種・堕胎がなされないだけではなく、患者を治癒させようとする医療が実施されていた。患者の外出や一時帰省も小笠原が許せば可能であった。そして、治癒と判断されれば退院も許されていた。皮膚科特研への院内隔離は、国公立療養所への隔離とはまったく異なる形態であった。 その一方で、小笠原は警察との連絡を密にし、逃走患者については詳細に警察に報告していた。その点では、皮膚科特研もまた絶対隔離政策の枠内、すなわち、無癩県運動の枠内にあった。小笠原は、癩予防法を遵守する姿勢を鮮明にし、そのなかで、皮膚科特研への患者収容を維持し、それをもって国公立療養所への隔離から患者を守り得たのである。しかし、皮膚科特研を一歩出れば、患者は無癩県運動の対象となり、国公立療養所に隔離される危険にさらされていた。絶対隔離政策の被害、無癩県運動の被害は、単に患者が国公立療養所に強制隔離されたことだけではない。いつ、強制隔離されるかと不安におののきながら人生を送らねばならなかった未隔離患者の精神的苦痛もまた被害の一環をなしていた。
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Research Progress Status |
26年度が最終年度であるため、記入しない。
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Strategy for Future Research Activity |
26年度が最終年度であるため、記入しない。
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Research Products
(3 results)