2012 Fiscal Year Annual Research Report
明朝遼東鎮をめぐる官僚人事・政策形成・朝鮮関係の解明
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22520706
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Research Institution | Hirosaki University |
Principal Investigator |
荷見 守義 弘前大学, 人文学部, 教授 (00333708)
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Project Period (FY) |
2010-10-20 – 2014-03-31
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Keywords | 明朝 / 官僚体制 / 監視体制 / 遼東 / 朝鮮 / 明朝档案 / 崇禎帝 / 高起潜 |
Research Abstract |
中国明朝(1368~1644)の辺境防衛の要である遼東鎮がいかなる役割を果たしたのかを、官僚人事、政策形成、朝鮮関係から解明することが研究の目的である。本年度においては、2012年8月23日から24日にかけて、韓国ソウル・東国大学校において開催された、東北アジア財団・東国大学校主催「東アジアにおける疎通と交流」シンポジウムにおいて、日本側代表として招かれ、「明朝档案を通じて見た明末中朝辺界」という論題で、これまでの明朝档案の残存と公表、研究状況を振り返り、今後の積極的な利用によっていかなる成果を生み出せるかを示した。また、この成果を東北アジア財団・東国大学校編『東アジアにおける疎通と交流(仮題)』と『(中央大学人文科学研究所)紀要』に掲載する予定になっている。上記の具体的な内容としては、明朝末期、万暦三大征の一つである万暦朝鮮の役(豊臣秀吉による朝鮮出兵)によって遼東方面の防衛力が低下すると、満洲族の擡頭が起きた。やがて、サルフの戦で中朝連合軍が満洲軍に大敗すると、遼東鎮は次第に満洲族によって浸食されて行った。明朝晩期の崇禎年間になると、遼東鎮はわずかに山海関から寧遠城までを押さえるのみとなっており、崇禎帝は危機感を感じて重用する宦官高起潜らを監視として辺防軍に送り込んだ。ちょうどこの時期の関係档案が多数残されていて、宦官が現地と中央とのパイプ役として活動する実相が窺える。ただ、宦官派遣がうまく機能したかというと問題の方が多く、実効は上がらなかった。寧ろ、既存の統治機能に介在するだけの存在であり、今後は既存の統治機能の実態を档案史料の積み重ねで検討する必要性を感じた。档案史料の数量は膨大であるが、その有効な利用方法はまだ手探りなところが多い。明朝档案の効果的な利用法を探り出して確立することが大きな課題であることも浮き彫りになった。これらは新年度の課題として考えたい。
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Current Status of Research Progress |
Current Status of Research Progress
2: Research has progressed on the whole more than it was originally planned.
Reason
①明朝遼東鎮に視座をおいて明朝の中央と地方との関係について検討すること、また、②明朝皇帝と朝鮮国王との「宗藩関係」について、遼東を支点として解明をはかることについて、昨年度・今年度において複数本の論文を発表し、及び昨年8月にソウルで開催された国際学会において発表を行ったことにより、おおむね順調に当初研究目的は遂行されていると自己評価している。「おおむね」としている理由は、明朝の中央と地方との関係において、明朝の防衛体制の基礎を築き上げた明朝初代太祖朱元璋、第三代成租永楽帝についてのまとまった見解を公表予定で目下執筆作業を進めているが、未だ執筆が完了していないことがあり、研究推進の足を引っ張っている事情がある。これを除けば、明朝档案についての整理・検討は順調に進展していると言い得る。
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Strategy for Future Research Activity |
今後は、まず、明朝第三代永楽帝についての執筆を早期に完了させること、次に『中国明朝档案総匯』及び『明清史料』の突き合わせ作業を急ピッチで行うこと、それによって、明代遼東についての研究書の発刊準備を次期において必ず完了させる方針で本研究課題の総括を行う。
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