2011 Fiscal Year Annual Research Report
石窟寺院への憧憬―岩窟/絶壁型仏堂の類型と源流に関する比較研究―
Project/Area Number |
22560650
|
Research Institution | Tottori University of Environmental Studies |
Principal Investigator |
浅川 滋男 鳥取環境大学, 環境情報学部, 教授 (90183730)
|
Keywords | 石窟寺院 / 岩窟型仏堂 / 懸造 / 山林寺院 / 修験道 / 奥の院 / 復元 / 文化的景観 |
Research Abstract |
昨年度発掘調査した摩尼寺「奥の院」遺跡の出土遺物・土壌・岩石等について自然科学分析を進め、報告書『摩尼寺「奥の院」遺跡-発掘調査と復元研究-』を刊行したことが第1の成果である。下層かち出土した土器が数点にすぎないという弱点をMAS法C14年代測定で補い、下層の存続年代は10世紀後半~16世紀である蓋然陛が高まった。上層から出土した土器160点のうち平安時代以前のものが40点以上を占めることも、下層が平安時代まで遡りうることを裏付けている。なお、岩石鑑定によると、下層整地土から出土する凝灰岩は「変質凝灰岩」であり、岩陰仏堂周辺の「デイサイト凝灰岩」とは若干異なることがあきらかになり、下層整地年代と岩陰・岩窟開墾年代の一致は確定できなかった。岩窟仏堂などの関連遺跡については、ラオス・ミャンマーの洞窟寺院、中国クチャの千仏洞、インドのアジャンタ等石窟寺院を視察し、国内では福岡県朝倉郡宝珠山で「小型の投入堂」と呼べる熊野神社(1686)を発見した。これらの調査成果を類型化した中間報告を『鳥取環境大学紀要』第11・12号が合併号に投稿し掲載された。各類型と中国石窟寺院との相関性を検討した結果、入母屋造の礼堂を岩窟と密着させて正面に設ける六郷満山系のタイプが華北の石窟寺院に最も近い一方、岩窟内に独立した懸造堂宇を設ける山陰系のタイプが華南の福建省に存在することをあきらかにした。日本の岩窟・岩陰型仏堂の成立は平安時代後半以降に下る可能性が高いので、南北朝~唐代に隆盛した華北の石窟寺院との間に直接的な系譜関係を認めがたいけれども、華北の石窟寺院は宋代まで存続しており、平安時代の日本に影響を与えなかったと決めつけることも危険であろう。今後はさらに多面的な角度から石窟寺院と岩窟型仏堂に係わるデータを集成し、「窟(いわや)の岩屋化」という視点から、類型と起源に関する考察を深めてゆきたい。
|
Current Status of Research Progress |
Current Status of Research Progress
1: Research has progressed more than it was originally planned.
Reason
鳥取県環境学術研究費により助成を受け、「摩尼寺奥の院遺跡の環境考古学的研究」を進めることができた。とくにオーガーボーリングによる土壌調査、花粉分析、C14年代測定、岩石鑑定などの自然科学分析は遺跡の解釈に大きく貢献した。また、鳥取市教育委員会との共催で2011年12月17日に「山林寺院の原像を求めて-栃本廃寺と摩尼寺「奥の院」遺跡-」シンポジウムを開催した成果も大きかった。全国の「山林寺院」研究動向を知れたことは、岩窟・岩陰型仏堂の理解を深める上で大きく貢献したと感じている。
|
Strategy for Future Research Activity |
昨年度の研究で、山陰に多い岩窟型仏堂、すなわち仏堂をまるごと岩陰や岩窟に納めるタイプは華南の福建省に存在することを知ったが、甘露寺などに代表される遺構を実際にみていないので、これを早急に視察する必要がある。福建省の漢族は台湾や東南アジア方面に多数移民しており、華南だけでなく、台湾や東南アジアの華人社会で継承されている可能性もあり、その方面であ分布にも注意する必要がある。また、東南アジアには洞窟寺院も数多くあり、それと石窟寺院の関係も解き明かしていく必要があるだろう。
|