2011 Fiscal Year Annual Research Report
パーリ註釈文献と北伝資料の比較分析による部派仏典の伝承史的研究
Project/Area Number |
22820010
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Research Institution | The University of Tokyo |
Principal Investigator |
馬場 紀寿 東京大学, 東洋文化研究所, 准教授 (40431829)
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Keywords | パーリ注釈文献 / 非仏説 / 金剛頂経 / 不空 / スリランカ |
Research Abstract |
本研究は、昨年度に引き続き、「伝承史」という視点から部派文献を分析する作業を行った。とくに、スリランカの上座部(大寺派)で編纂された文献に説かれる「非仏説」の記述に焦点を当て、それに関連する北伝資料を調査することによって、密教経典として有名な『金剛頂経』が中世スリランカに存在していたことを明らかにした。その論拠は以下の三つにまとめられる。 第一に、五世紀のパーリ註釈文献(『律註』『相応部註』)と十三、四世紀のパーリ文献(『核心綱要』『部派綱要』)には「非仏説(abuddhavacana)」とされる文献が挙げられており、後者は明らかに前者のリストを継承しているが、同時に前者に存在しない文献も多々挙げられる。その多くは密教文献に確定できるが、その一つに『タットヴァ・サングラハ』がある。これは、漢訳『金剛頂一切如来真実摂大乗現証大教王経』、通称の『金剛頂経』の原題である。 第二に、七七四年、不空の没後間もなく建てられた「大広智三蔵和上之碑」によれば、開元二九(741)年、不空は弟子たちを伴ってスリランカへ渡り、普賢阿〓梨の下で学び、『金剛頂経』と『大日経』を授かって天宝六(747)年に帰国したという。 第三に、スリランカから来たヴァジュラヴァルマンが『金剛頂経』の釈タントラの一つである『一切悪趣清浄タントラ』に対して著した注釈書がチベット訳で残っている。 以上のように、パーリ文献、漢訳資料、チベット資料のいずれもがスリランカと『金剛頂経』を結びつけており、本経はスリランカに存在したと考えられる。
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